あなたにとって釣りの楽しみとは何か?「こんなところかな」という答えが各人にあるはずだ。では、同じことをAIに訊いてみるとどうだろうか?根っからロマンチストにできている釣り人と、心なきAIに「釣りとは何か?」と質問してみれば、一体どれだけの違いがあるだろう?
(アイキャッチ画像提供:TSURINEWSライター・井上海生)
ChatGPTに投げかける「釣りの楽しみ」
では、ChatGPTに訊いてみよう。
YOU:釣りの楽しみって何?
ChatGPT:
釣りの楽しみは多岐にわたります。以下は、釣りが楽しいとされる要因のいくつかです。
自然とのふれあい: 釣りは通常、美しい自然環境で行われます。湖、川、海など、自然の中で静かに時間を過ごすことができます。
リラックスと癒し: 釣りはリラックスできるアクティビティであり、水辺で静かに座っていることで日常のストレスを解消できます。穏やかな水の音や風の音などが癒しをもたらします。
挑戦と戦略: どの魚がどの場所にいるかを見極め、どのルアーを使うかなど、釣りには戦略が必要です。釣果を上げるために様々な技術や知識を身につけることが楽しい要素となります。
仲間との交流: 釣りは友達や家族と一緒に楽しむことができるアクティビティでもあります。釣りの合間に談笑したり、経験を共有したりすることで、より深い絆が生まれることもあります。
自然の美を楽しむ: 日の出や日没の美しい風景、釣った魚の美しい色彩など、自然の美を堪能することができます。
冒険と探検: 新しい釣り場や新しい魚を求めて新しい場所へ行くことが冒険となり、探検心をくすぐります。
個人の成就感: 釣りで大物を釣り上げるという達成感や満足感は、個人にとって非常に大きな楽しみとなります。
これらの要因は、釣りを単なる趣味以上のものにしている要素であり、人によって異なる楽しみ方があるでしょう。
――想像以上にイイことを言う。感傷的な性格の持ち主でもあるらしい。正直この質問を投げかけるまで、「どうせ無機的なしか言わないんだろう」と白けていたが、少なくとも私の言い分としては負けてしまった感がある。
一応私の考えを述べておくと、釣りの楽しみとは、『自己肯定感のアップ』だと思う。魚が釣れるたびに、何かしら自然に承認されている気がして、自分がマシなものに思えてくるのだ。仕事や恋愛ではあんまり評価されないけれど(卑屈ですね)、自然は意外に簡単に認めてくれたりする。けれど、いつ何時も甘いものでもない。そこにも味がある。
とある年配のアングラーは「あんまり釣れないけれど、竿が曲がるだけで楽しいよね」と微笑んでいた。今のところ、私がもっとも好きなのは、この好好爺的な言葉。これが釣りだ。
ルアーフィッシングは残酷なのか、聞いてみた
では、次に、何度も問題になる「ルアーフィッシングは残酷なのか」というところだ。AIは何と答えるだろうか?
YOU:ルアーフィッシングは残酷?
ChatGPT:
ルアーフィッシングが残酷であるかどうかは主観的な意見が存在し、議論の余地があります。ルアーフィッシングは、魚を餌(ルアー)で釣り上げる方法であり、その過程で魚がフックに掛かることになります。
賛成派は、以下のようなポイントを挙げることがあります:
釣りは伝統的な娯楽: 釣りは古くから行われてきた娯楽であり、多くの人が自然とのふれあいやリラックスを求めて楽しんでいます。
適切な処理: 釣りをする人々は、釣り上げた魚を適切に処理し、食材として利用することがあります。この場合、魚は食料としての役割を果たすことになります。
反対派は、以下のような理由から残酷だと主張することがあります:
ストレスと苦痛: 魚がフックに掛かる際、それがストレスや苦痛を引き起こす可能性があります。一部の人は、これが動物虐待に当たると考えています。
サステナビリティの懸念: 過剰な釣りが生態系に悪影響を与える可能性があり、持続可能な漁業が保たれるべきだとの立場から、釣り自体が問題視されることがあります。
リリースの効果: 一部の釣り師は釣り上げた魚をリリースすることがありますが、これにも生存率に関する懸念があります。
この議論は複雑であり、個々の価値観や倫理観に基づいて異なる見解が存在します。一部の人は釣りを楽しむ一方で、他の人は釣りの方法や影響に懸念を抱くことがあります。持続可能な漁業や倫理的な釣り方を実践することが、釣り愛好者や産業において重要な議題となっています。
――おまえ、弁が立つなあ、ChatGPT。「サステナビリティ」など、当節の概念まで織り込む。「リリースの効果」で魚の生存率を語るところなど、そのへんのアングラーよりずっと思慮深いみたいじゃないか。誰か後ろに作家でもついているのかと思うほどだ。
ただ、いつまでも「持続可能」みたいな今っぽいことが言えると思うなよ。先見の明ある私の考えでは、SDGsみたいな薄っぺらなスローガンはすぐに使い物にならなくなる。こんなのただの「格好つけ」なのだ。そうでなければLGBTQの「多様性を認めないという多様性は認められない」という最大の自己矛盾的ファシズムを、君はどう考えるというのか?
・・・・・・そんなことを聞いてすごくいい答えが返ってきたら黙るしかないので、控える。