海釣りは気持ちいい。ただ海を眺めているだけでも爽快だ。魚が釣れたときも嬉しい!幼少時に味わった、あの「ささやかなアタリ」が忘れられず今でも釣りを続けている、そんな方も多いはずだ。根がロマンチストの私は、様々な瞬間に、海で幸せを感じる。そんな幸せな瞬間、3つをおすそ分けしたい。
(アイキャッチ画像提供:TSURINEWSライター井上海生)
海を感じる幸せ
海は広いな大きいな、と唄うのは確かそのまんま「海」という歌だった気がする。なんというかこのポケーッとした感じって、実際、海釣りしているときのふとした瞬間と重なったりしないだろうか?そう、海は広くて大きい。そして、根源的に怖ろしい。畏怖の対象でもある。よくない例を出すようだが、たとえば津波が軽く陸を一舐めするだけで、人間が築き上げてきたビル群は崩壊する……。
だが、時にそんな警鐘を与える反面、海は基本的におおらかで美しいものだ。釣りのたびに海を日常的に感じられるアングラーは幸せだと思う。筆者は、いつか三陸地方に旅したときに、いかにも無目的に歩いてきたと思しいOL風の若い女性が、何やら周りを気にしながら堤防に腰を下ろし、その場で足をぶらぶらさせる姿を見たことがある。顔には微笑みが浮かんでいた。きっと疲れていたのだろう。いい気分転換になったことだろうか。袖触れ合うも他生の縁。あの女性、今、どこで何をしているのかな。
さて、そんなヒトの姿を見てすら幸せになってしまう甚だ甘な私だが、もっと具体的にしっかりと幸せを感じる瞬間がある。まずはやはり、魚が釣れたときだ。
その1「釣れたとき」
もちろん魚が釣れたときは嬉しい。それも、自分が意図した仕掛けで、意図した通りのことをやって、狙いで釣った魚は嬉しい。
魚釣りはただなんとなくやっていても釣れることがあるもので、筆者の友人は、適当にバイブレーションを海に放っておいて煙草を吸い、よっこらしょと腰を上げたところでハマチをかけてしまったこともある。正直「ちくしょう!」という思いだったが(何しろこちらはその日は何も釣れなかった)、そんなアクシデントよりも、狙いで釣った魚のほうが絶対に嬉しい。自分のモノ、という感じがする。
その2「苦労して釣ったとき!」
苦労が達成したときの「溜め」になるのはよくある話で、努力して努力して報われたときの幸せや充実感は素晴らしい。至福とはこのことだ。空腹が最大の調味料というが、魚釣りも、死ぬほど釣り渋らされて、最後の最後に苦労して釣った魚が小さくても何でもめっちゃ嬉しかったりする。
筆者は五年越しのライバル、同じポイントの同一個体のスズキと、昨年(おととしだったかも)決着をつけることができた。おそらくランカークラスだろうと思っていたが70弱。それでも声を張り上げるような歓びを感じたものだ。
その3「釣り場メシ」
最後に。なんだか話がスッとかわるみたいだが、釣り場で食うメシの旨さは異常。これって、なんだろう。本当においしいんです。ピクニックの握り飯みたいなもので、釣りだってレジャーなので、海を見ながら食うメシはすっごくおいしい。コンビニのおにぎりでも、胸に幸せがこみあげてくるほどおいしい。幼少時、母の手作り弁当を食べるのが、沖堤防にわたって釣りすることよりも楽しみだったかも。
そのほかにも海釣りをしていて楽しいことってたくさんある。私は一度だけ、釣り好きというか、釣りに関心を示してくれるカノジョと付き合ったことがあり、一緒に穴釣りをよくした。するとそのコ、カサゴが食い込んで外れたときに「チッ」と舌打ちするのだ。完全にのめりこんでいた。その姿は私をひどく幸せにした。まーたそんなカノジョができたらな、と思いつつ、いろんな意味での出会いも求めて(?)今日も幸せな釣行に出かけるのである。
<井上海生/TSURINEWSライター>