最近どうにも気疎い日々が続いている。個人的な話だが、9月から約2か月半、風邪が快癒しきらずに長引いているのだ(つい昨日、診断は「喘息」にかわった)。そんな理由で、大好きな釣りも疎かにしがち。ぞっとしない話だが、これほど出不精の自分が「もしも釣りを辞めたらどうなるのか?」なんてことも考えたりした。詳しく想像してみると、それは実にぐっと死に近づくような現実感をもって迫る。
(アイキャッチ画像提供:TSURINEWSライター・井上海生)
釣りを辞めるとき
みなさんは「釣りを辞めるときがくるのかな?」なんて想像をしたことがあるだろうか?
年間50回以上、すなわち週1回で通っている釣り好きからすれば、「まさか、そんなこと!」という話だろう。考えられない。釣りがなければ、休日にすることがない。家にいてもすることがない。退屈。
実際、自分の最近のことを思っても、釣りに出かけることができない体調で迎える休日は、本当に退屈そのものである。一切やることがない。私は酒も飲まないし、最近は視力も低下して本を読むのも辛くなってきたので、誰かに呼ばれることがなければ、休日はまことに静かにひそやかに過ぎていく――。
最近は釣りの準備をしながらも、「やっぱり出かけるの面倒くさいな」などと内心そう思うようにもなった。今年は去年の半分以下に釣行回数が減っている。こうなってくると、今はまだでもいずれ来るだろう「趣味の引き払い」みたいなことを考えないでもない。
釣りを辞めたらどうなる?
もっと具体的に「釣りを辞めたらどうなるんだろう?」と考えると、ぞっとする。
「人生を一生楽しみたければ釣りを覚えなさい」という箴言めいた言葉を聞いたことがあるが、これを逆に捉えると、「覚えた釣りを辞めたら、その先、人生すべてが無味乾燥」とも考えられそうだ。私はこういう事柄は寝る前なんかにいちいち具体的に想像してしまうタチで、次のような恐怖に思い至った。
「釣りを辞めると、お金と時間を膨大に持て余す」
「そのお金を膨大な時間を費やすべき別のものも、自分にはない」
「どんどん体力が減り、精神力も落ち、孤独になっていく」
「そのまま不幸な老人になり、よくわからないまま人生を終える」
――もっともこれは私という根っから狷介固陋の若年寄りの考え方である。家庭がある方は、家庭に生きがいがあるだろう。しかし私には仕事以外ほとんど釣りしかない。それで貧しい人生と思うことはないが、末路哀れはどうしようもない。そんなものは、いずれ死ぬすべての人間がそうかもしれないが。
釣りの代わりになるもの
もう少しポジティブに考えてみよう。釣りになりかわるものはあるのだろうか?
これまた個人的な話だが、ちょっと心当たりがある。私は1997年の「FF7」に衝撃を受けた世代で、このゲームが今リメイクされている。リメイク第二弾が今年の2月に発売されたのだが、それからずーっと同じゲームで遊んでいて、次の最終作を待っている状態だ。
ゲーム会社に勤める知人にも「俺は制作する側だからほとほと飽きているけれど、ゲームは大人にとって、意外に生きがいになるみたいだぞ」と勧められた。職場の女性の旦那さんが、スマホゲームに500万円課金していたという話も聞く。そこまでいくとやりすぎみたいな気がするが、当然ながら釣りだって、傍から見たら「リールに10万!?」「ロッドに10万!?」「遠征に10万円!?」という世界だ。
「今日はとりあえず釣りにいく」
ずいぶん話が逸れてしまったようだ。すべての野球選手が引退を避けられないように、釣りにも最盛から老いがあり、控え慎みがあり、ついにはリタイアがあるのだろう。年齢と共に、「これ以上はやれないな」という実感が積み重なってくる。でも、「今日はとりあえず釣りにいく」…そんな繰り返しかな。
<井上海生/TSURINEWSライター>