釣りは何せ自然との戦いで、ずっとやっていて、辛くなる時間がある。そしてそれは当然人間の体力・精神力と直結しており、誰もが何かにつけ老いを感じるように、釣りをしている最中にも老いを実感することがある。筆者はまだ35歳と、せいぜい青少年から見て「若い年寄り」というもんだが、そんな私でも20代30代を通して感じた老いがいくつもある。
(アイキャッチ画像提供:TSURINEWSライター井上海生)
釣り人は若年寄かも
たまにちょちょっと釣りするくらいなら関係ないかもしれないが、この道のガチ勢はかなり人間的に老成してくる。釣果を追い求めると思慮深くなり、シビアな性格になる。
それが自然相手の戦いなのだから、精神的に成熟しやすいのかもしれない。どんなことでも真面目に取り組んでいることが、その人の内面・外見に影響するのは、当たり前のことだ。
20代~30代にかけて訪れる「釣り老い」
釣りは、環境にも心身が追い込まれる。消波ブロックの上、磯の上。平穏な堤防で釣っていたって時に雨風に打たれ、どうしても風雪に耐えない。釣り具が古びていくように、釣り人も古びていく。これまた当然である。そうして人間がひとつの娯楽の中で古び、学んでいくと、「釣り老い」ともいうべきものが、当然若年代にも訪れる。
危険な釣りを回避する
危険察知能力が高くなる。やればやるほど、釣りでくだらない失敗をしたくなくなる。ということで、ある程度釣り老いしてくると、まず「怪我は絶対にしない」との気持ちが前にきて、危険な釣りを避けるようになる。
筆者の場合は、20代後半からほとんどまったく消波ブロックに乗らなくなった。事故のリスクが高いし、「別にここで釣れるか?ロストしやすいだけじゃないの?」と思うからだ。
確率の低い釣りを避ける
せっかく釣り場に立つなら、ゼロでは終われない。絶対に釣る。そんな強烈な気負いもあって、釣り老いた人間は、確率の低い釣りを避けるものだ。
私はそもそも魚が釣れる可能性が高いライトゲームのアングラーだが、だからこそ、というべきかボウズは絶対にしたくないので、潮回り・気象など条件を見極めて釣りにいくかどうかも、慎重に決める。これ、みなさんも同じですよね?
他の釣りに対して興味が失せる
ひとつの釣り歴が長くなってくると、どうも他の釣り物に対して興味が失せてくるようだ。こんな白け具合こそ、まだ若年寄とも言える年齢のうちに矯正したい。何とか意欲を駆り立てて釣りの幅を広げたいところだが、私はもうしばらくライトゲーム以外やる気にならない。
シーバスアングラーやエギングアングラーは種々の釣りに手を出しているイメージだが、どうなんだろう?ショアジギングなど、早朝という時間条件に縛られる釣りも辛そうだ。
釣り時間が短くなる
夜通し釣りなんてしなくなった。長くて、夕方から3時間だ。それでもサッカー90分と延長戦を戦ったように膝に手をついてはあはあ言うような帰り道である。けれど、たまにしたくなる。
魚の反応があるあいだは、もしかしたら今でも深い時間まで釣っちゃうかもしれない。ただ実際に魚が動くのは、筆者の印象では22時程度までという気がするのだ……。
怪我をして学ぶことも多い
釣りはミスから学ぶものだ。痛い目をして分かることが、もう山ほどある。筆者が消波ブロックに乗らなくなったことには、何度もロッドとリールを破損し、果ては、自分が穴の中に逆立ちするみたいにひっくり返って行動不能となった事故の経験もある。
別にそういったアクシデントは、良いことではない。だが、とある小説で読んだ文章なのだが、「良い木こりは体に一つだけ大きな傷がある。わかるだろう?」ということだ。私にはわかる気がする。
老成した釣り人はミスが少ない
一般に年を取ることは、必ずしも幸福というものではない。しかし経験を重ねて、ベテランになっていく。老成した釣り人はミスが少ない。今その渦中にある35歳の私が言うのもおかしいかもしれないが、20代30代というのは、経験も体力もまだ十分で、もっとも釣りが楽しい時期かもしれない。
<井上海生/TSURINEWSライター>