釣りに関する文芸作品はちょくちょく見られる。私も、特に釣りをテーマに選ぶわけではないが、読んでいて面白かったものが釣りに関する小説だった、ということは少なくない。ということで、今回は釣りの場面が魅力的な小説を芥川賞受賞作に絞って2作品紹介したい。
(アイキャッチ画像提供:TSURINEWSライター井上海生)
世に多い釣り小説
釣りをテーマとした、ないし釣りの場面が象徴的に描かれた文芸作品は世に多い。芥川賞を受賞した小説にも、私の知る限り、釣りの場面が気持ちよく挿入された作品が2作ある。近作でいえば、2017年の受賞作『影裏』と、1966年の『夏の流れ』だ。
どちらもなかなか面白い作品なので、簡単な内容と、描かれた釣りの魅力を紹介したい。
『影裏』
まずは、沼田真佑『影裏』を紹介しよう。
あらすじ
北緯39度。会社の出向で移り住んだ岩手の地で、わたし(今野)が唯一こころを許したのが同僚の日浅だった。ともに釣りをした日々に募る寂しさ……いつしか疎遠となった日浅の別の顔に、東日本大震災の後、触れることになる。巨大な崩壊を前に、見えてくるものは何か。
この作品の主要登場人物は二人、物語の語り手である「わたし(今野)」と「日浅」だ。ともに釣り好き、酒好きで打ち解け合う。二人が出かけるのは、生出川(おいでがわ)という渓流釣りのエサ釣り。釣りをしながら心を通わせる同年代の男二人。東日本大震災後、行方不明となった日浅について、「わたし」は聞きまわる最中、方々から、日浅の思いがけぬ詐欺師のような一面を知らされる。
魅力的な釣りの場面
「わたし」と日浅、二人の釣り物はマス類だ。
「川辺や谷間の林道を釣り歩いていて、釣りそのものに、倦きがくることはたしかにあった。だが少し視線をめぐらせると、対岸の沢胡桃の喬木の梢にコバルトブルーの小鳥がいたり……(中略)。一種の雰囲気を感じて振り仰いだら、川づたいの往還に、立ち枯れたように直立している電信柱のいただきに、黒々と跨る猛禽の視線とわたしの視線がかち合ったりした」(本文引用)
「淵では一投目からあたりがあった。川上に走らず、底へ底へと沈み込むような、曖昧な引きだった。またあの大鮠と再会するのかと苦笑したが、釣りあげた魚は虹鱒だった。鰓蓋から尾柄にかけて濃い桜色の帯が走っている」(本文引用)
伝統的な筆致で描かれる自然描写がとにかく美しい。話の広範の「裏切り」にあたる部分で日浅という名前が、タイトル『影裏』の逆の言葉のように聞こえるのも魅力だ。ちなみにこの作品、当時の芥川賞オッズでは、まるで0%のノーマーク作品だったらしい……。
『夏の流れ』
続けて1966年の作品、丸山健二『夏の流れ』を紹介する。
あらすじ
主人公「私」は、刑務官。平凡な家庭を持つ主人公の日常と、死を目前にした死刑囚の日常を対比させ、執行日に至るまでの時間を描く。
魅力的な釣り場面
「青くよどんだ岩陰に、大型のやまめが輪になって泳いでいた。先頭の一匹が向きを変えると他のやつも一斉に方向を変え、そのたびに銀色の腹がキラキラ光った」(本文引用)
「そんなにでかい声だすなよ。全部、逃げて行っちまう」
「逃げたってすぐ戻るさ」
「囚人たちみたいにか」と私が言った。
「俺たちの囚人は戻らないがな」(本文引用)
戻らない囚人とは――まあそういうことだ。乾いた筆致で「死刑」「死」の傍に立つ刑務官の姿を描く。その合間に挿入されるごく平穏な釣りの場面は、あまりに静かで強烈だ。
あまりない「海釣り小説」のフシギ
以上、今回は芥川賞受賞小説から2作を紹介した。どちらも川釣りなのが、ポイントではあるかもしれない。川と緑の声が聞こえてきそうな癒し、爽快感がある。どういうわけか、あまり海釣りが重大なモチーフとして描かれた小説はない、気がする。
……どちらも読み物として優れた作品だと思うので、読んでみてほしい。
<井上海生/TSURINEWSライター>