アジングは手軽に楽しめるライトゲームだが、釣れるアジが10cm未満ばかりとなると、話は変わってくる。数だけは釣れても、引きは弱く、食べるにも身が少ない。小さなアタリを取る練習になるという意見もあるが、それなら豆アジングの段階ですでに経験できることだ。アンダー10cmというサイズに、釣りものとしてどれほどの意味があるのか。釣りの面白さ、食材としての価値、技術練習という三つの視点から考えてみたい。
(アイキャッチ画像提供:TSURINEWSライター・井上海生)
10cm未満のアジング
アジングで釣れる魚が10cm未満に偏ると、釣果の数字と満足感が必ずしも一致しなくなる。二桁釣果を達成しても、魚が小さすぎれば釣り応えは限られる。もちろん、小さな魚が釣れること自体を否定するつもりはない。しかし、アジングという釣りに何を求めるかによって、その評価は大きく変わる。
大阪湾沿岸では、季節や場所によって豆々アジが多くなることがある。アジがいること自体は喜ばしいが、狙っているサイズに届かない状況が続くと、釣行の目的を見失いかねない。数釣りを楽しむにしても、魚のサイズには一定の満足ラインがあるはずだ。
釣りものとしての満足度
アンダー10cmのアジは、釣りものとして考えると厳しい面がある。小さな魚体では引きも限られ、掛けた瞬間の高揚感や魚とのやり取りを楽しみにくい。もちろん、極小サイズを相手にする繊細さに面白さを感じる人もいるだろう。
しかし、一般的なライトゲームとして考えた場合、魚の引きや釣り応えを期待するには物足りない。
アジングの魅力は、軽量なジグヘッドを操り、アタリを捉えて魚を掛けることにある。ただし、釣りの技術的な面白さだけでなく、魚とのやり取りそのものも重要な要素だ。アンダー10cmでは、その魅力が十分に発揮されない場面も多い。
微妙なアンダー10(提供:TSURINEWSライター井上海生)釣れないよりはよい、という考え方もある。だが、釣果が得られることと、釣りとして満足できることは別問題である。小さなアジが数多く釣れる状況を、無条件に好釣果と呼ぶことには疑問が残る。
食べる魚としての価値
食材として考えても、アンダー10cmのアジは扱いにくい。魚体が小さいため、食べられる部分が少なく、下処理にも手間がかかる。数を釣っても食卓に並ぶ身の量は限られ、持ち帰って食べることを主な目的とするなら効率がよいとは言いにくい。
小型魚を食べる文化そのものを否定する必要はないが、釣った魚を持ち帰るのであれば、サイズや必要量を考えたい。食べる部分が少ない魚を大量に確保するより、適切なサイズの魚を必要な分だけ持ち帰るほうが合理的な場合もある。
釣りは魚を獲る行為である以上、釣れた数だけを成果と考えるのではなく、その魚をどう扱うかまで含めて考えたい。アンダー10cmのアジが中心なら、無理に持ち帰らず、リリースを選ぶことも一つの判断となる。
練習として得られるもの
アンダー10cmのアジでも、小さなアタリを捉えたり、軽量ジグヘッドを操作したりする練習になるという意見はある。しかし、その点についても、すでに豆アジングの段階で十分に経験できるのではないか。わざわざアンダー10cmという極小サイズを狙うことに、どれほど上積みがあるのだろうか。
豆アジングであれば、繊細なアタリを取る感覚やフッキングの工夫を学びながら、釣りものとしての楽しさもある程度確保できる。対して、さらに小さなアジばかりとなれば、練習として得られるものがまったくないわけではないにせよ、釣りとしての満足度は下がりやすい。
豆アジングからが本番(提供:TSURINEWSライター井上海生)もちろん、釣り場で意図せず極小サイズが掛かることはあるし、それを釣ったからといって問題があるわけでもない。だが、積極的に狙う対象として考えた場合、練習という理由だけでは魅力を説明しきれない。
練習を目的にするにしても、豆アジングで十分に成立するのなら、アンダー10cmにこだわる必然性は薄い。
わざわざ釣る魚なのか?(提供:TSURINEWSライター井上海生)結局のところ、アンダー10cmのアジングは、釣れることと面白いことの間に距離がある釣りなのかもしれない。数を釣る楽しさを見いだす人はいるだろうが、引きや食味、練習効果を総合すれば、豆アジングのほうが釣りとしてのバランスはよい。
極小サイズを否定する必要はない。ただ、それを積極的に狙う価値がどこにあるのかは、一度考えてみてもよさそうだ。
<井上海生/TSURINEWSライター>


