いつでも確実に魚が釣れるわけではない。オカッパリの釣りでは、ことシーバスアングラーはその事実を毎回のように実感していることだろう。大なり小なり運が絡む。そもそも本当に手堅い釣り物もないものだ。うまくいかない日。ボウズ(釣果なし)や、ロスト多発の釣行後は、どのように心を慰めればいいのだろうか?筆者のジンクスをいくつか紹介したい。また人から聞いたジンクスも語っておこう。
(アイキャッチ画像提供:TSURINEWSライター・井上海生)
避けられない不運
釣りは大なり小なり運。というか、自然相手のものなので、すべて運である。「水を100度まで温めると沸騰する」というようなサイエンスではない。一定のことをすれば、常に同一の反応が返ってくるわけではない。それを限りなくサイエンスに近づけていく作業がすなわち業界用語でのパターン化、再現性を高めていく研究勝負だが、それにも限界がある。何せ、自然の条件が常に一定ではないのだから。
筆者は比較的、魚の反応が見込みやすいライトゲームアングラーで、通年、オカッパリの小さな魚をターゲットとしている。私のモチベーションは、「なんでもいいからとにかく釣りたい」と、ともあれ釣果にこだわるもので、簡単な釣りとはいえ手を抜かず一匹釣るまで、全力でいく。
しかし、それでもスカることがある。不運、アンラッキー。先日も、今年は一切ボウズなしできていたのが、突然、1尾も釣れない夜を経験した。釣れなかったことよりも、ずっと順調にきていた釣りの「誇り」を傷つけられた心のダメージが大きい。
そんなとき、傷ついた誇りをどのように慰撫すべきか。いくつか個人的に行っている「祈り」のようなものがある。こうしておけば次はボウズをしない、みたいな、いわばジンクス的なルーティンである。
悔しい日にやるべきこと
筆者は、次の3つのようなことを心掛けて、悔しい釣行後の痛みをまぎらわせている。
いつもより丁寧に釣り具を洗う
これは厳守だ。常から私は釣り具をかなりきれいに洗う方だが、ボウズをした日は特に、ほとんどモノにあたっているのと同義の、めちゃくちゃ丁寧な洗い方をする。リールもルアーも、自分がシャワーを浴びている時間、まるまる水洗いしておく。風呂場ではもっと丁寧に、竿を隅々まで洗い、ブランクスの汚れやガイドの傷も徹底的にチェックする。こうした心づくしが、次につながると信じるのである。
イイものは食べない
ボウズ釣行後、いわばチートデイをしてしまう方も多いのではないだろうか?「せっかくこんな悔しい夜だし、うまいもんでも食って発散だ」という考え方である。私はこれもしない(大体そういう人は何かと無理な理由をつけて酒を大飲したりもする…(偏見)…)。釣りという、ほとんど命をかけているのと同義の重要な趣味に対して、釣り人の誇りを損なうような失敗をしてしまった後で、イイもんを食うなど、何かしらの冒涜と同じである。
人にベラベラ話さない
ボウズの悔しまぎれに、「いやあ、あれ本当は釣れてたんですけどね」などと、見苦しい聞き苦しい言い訳をする人もいる。これもすべきではない。なぜならば、釣れていないからだ。現実を受け止めろ!
次の釣りへと反省点を具体的に
知り合いに、ちょっとヒくほど金持ちの釣り人がいる。これがなかなかできた人で、自家用のクルーザーも持っているのだが、ジグをロストしたときに、「まず今日は500円貯金して、うまいもんも食っちゃいけない」と呟いていた。そして、「反省しないとな」と。
そうなのだ。ボウズは反省すべきことで、必ず何か理由があって起きる。潮の読み方が甘かった、あるいはポイントそのものが間違っていた、など。釣り人にとって釣りは日常だ。毎日続く日常を守り、大事にしようと思うと、そこに真剣さが生まれるものである。
避けられないので重く考えない
そうは言いながら、ボウズやロストは完全に避けられるものではない。本質的には、巨きな海や川や湖が相手なのだ。人間一人の力がたった魚一匹に及ばなくても、何もおかしくはない。むしろそれも自然だ。ここまで研究尽くしで魚が思うように釣れる方がおかしい…と私は、最新の魚探の精度を見るたびに、何というか文明の憂鬱のごときを感じる。
ここまで重々しく語っておいて何だが、やはり最初からボウズやロストなど重く考えない方がいいのだろう。「よし、次、次。次は必ず釣るぞ」それくらいカラリとした気持ちで、また釣り場に立ちたい。
<井上海生/TSURINEWSライター>