村越正海さんの「人生最髙フィッシング」。思い出深い釣りを振り返ってもらいながら、それを通して学んだことや魅力について語ってもらった。
(アイキャッチ画像提供:村越正海)
当時のシーバスゲームのタックル
5.5~6ftのルアーロッドにカーディナル4、ラインはナイロンライン3号といった組み合わせ。このタックルで70cm、3kgが釣れるのだからハマってしまいました。
イシダイ釣りにも通っていましたが、とにかくお金がかかるし、釣り場には、それに物を言わせて釣るような人もいて、気分がいいものではなかったです。そんな事情もあって、気軽にルアーで大きな魚が釣れるのは自分にとって理想の釣りでした。
現在の同川は護岸工事で、様変わりしていますが、当時はかなり流れがあって、そのなかでの大型魚とのやりとりはかなり楽しかった。でも、当然ルアーのロストは多くなり、学生には厳しかったです。
当時のシーバスルアーは?
やはり、「安くて釣れる」ルアーが重要でした。この川で初めて釣れたのはロビン。ほかにフレクトライトミノーなど安価な国内メーカーのルアー。
ほかには、レッドフィンやレーベルミノーもよく使いました。ラパラはこれらより少し高かったので貴重でした。根掛かりしにくい安価なものを探しました。
アルバイトで稼いだお金は、ほぼガソリン代に消えました。年間で7万km走ったこともあります。
伊豆ヒラスズキ釣りにも
伊豆のヒラスズキは、釣れるようになるまで3年近くかかりました……。
房総では釣っている人がいたので「伊豆でも釣れるはずだ」と始めてみました。当時、磯釣りの主流はイシダイがいるような深さのある、規模の大きい磯。しかし、経験を積むにつれて、浅いゴロタ場で釣り上げたり、「サラシを釣る」というのも、体感や経験から学びました。