徳川家康といえば「鯛の天ぷらを食べて死んだ」ことで知られていますが、これにはどうも我々の想像と異なる部分があるようです。
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徳川家康は「鯛の天ぷら」で死んだ?
日本史を代表する偉人の一人・徳川家康。老齢に差し掛かってから天下を治め、当時の人としては長い人生を駆け抜けましたが、その死因には様々な説があります。
そのなかで、もっともよく知られているものがおそらく「鯛の天ぷらで死んだ」というものでしょう。お抱えの商人である茶屋四郎次郎が作った鯛の天ぷらを食べたのち体調を崩し、そのまま帰らぬ人となってしまったという説が古くから語られています。
しかし、実際のところこの説は現在では否定されているようです。というのも、彼が天ぷらを食べすぎて腹痛を起こしたというのは資料も残っており確かなようなのですが、そこから死に至るまでに3ヶ月ほど経過しており、直接の死因となったにしては時間がかかりすぎているのです。
最近では、家康はもともと胃がんを患っており、それが直接の死因となったのではないかという説が有力です。鯛の天ぷらで腹を壊したのも胃がんが原因と考えるとしっくりきます。
家康の愛した「興津鯛」はタイではない?
さて、ここでもう一つ、ちょっと意外な説を述べさせていただきます。というのは、家康が食べた「鯛の天ぷら」は、いわゆるタイではなかった可能性があるのです。
それも「マダイではなくてクロダイです」といったような話ではなく、この魚は高級魚のひとつ「アマダイ」だったのではないかと言われています。家康が晩年を過ごしたのは出身地に近い駿府(現在の静岡)でしたが、このすぐ沖合に広がる駿河湾は浜のすぐ先から水深があり、昔も今もアマダイの好漁場となっています。
静岡ではアマダイのことを、漁場の名前を取って「興津鯛」と呼んでおり、家康もこれを好んで食べたとされています。興津鯛と呼ばれるものにはアカアマダイとシロアマダイがありますが、どちらをより好んだかというのはわかっていないようです。
そもそも「天ぷら」でもないかもしれない
更にいうと「天ぷら」と呼ぶのも厳密にいうと正しくはないかもしれません。
現在、天ぷらといえば水で溶いた衣をつけて油で揚げたものですが、当時の天ぷらは薄く粉をはたいて揚げた、現代でいうところの唐揚げに近い料理だったそうです。これにおろしニンニクを載せて食べるのが当時好まれたそうです。
加えて、アマダイの場合は鱗をつけたままの切り身の鱗に油を塗りながら焼き上げる「松笠焼き」という調理法があり、これが天ぷらと誤認されたという説もあるそうです。もし「アマダイの松笠焼き」が「鯛の天ぷら」として後世に伝わってしまったのだとすれば、正しい歴史を解読することの難しさが想われますね。
<脇本 哲朗/サカナ研究所>