干支が三巡して、トシオトコの私は今年36歳となる(4月が誕生日)。そのときそのときの生き方をしてきたが、傍らに常に釣りはあった。大阪生まれ神戸育ちの辰年の男が、この36年の釣りを振り返りたい。
(アイキャッチ画像提供:TSURINEWSライター井上海生)
トシオトコ、釣りを振り返る
1988年生れの私は、2024年で36歳となる。馬齢を重ねてきたものだが、釣りの腕だけはなかなか向上してきた。
釣りに出会ったのは学齢前だったと記憶している。渡船で父と兄と共に須磨の沖にわたってエサ釣りをした。外道でぬめぬめとしたメゴチを釣り、アイゴが釣れたら毒があると注意を受け、カサゴやメバルが釣れたらガッツポーズ。潮の動きでラインが動くのをアタリだと思い込んで大合わせし、「潮や」と父にあきれられたことも覚えている。
その頃から海の小さな魚には興味津々だった。父が船で釣ってきた大物をダイニングキッチン越しに眺めるのも楽しかったが、後年、父はかなり難しい人物になっていったので、私はいつか「自分でできる範囲の釣り」を規定し、今のライトゲームへと至っているのかもしれない。ちなみに、父に一度船釣りに連れていってもらった兄は、沖の釣り人になっている。そういうものだ。
小学生くらいから、バス釣りをはじめた。その頃から特に仲間を必要とせず、近くの野池に一人で入っていった。元来、単独行動の人間なのだろう。けど水辺の生き物が好きな友達はいて、彼らと水生昆虫を見に行ったりはしていたけど。
2000年、常吉リグが爆発
中学生の頃は、近くの野池でバス釣りにのめり込んだ。2000年あたりのブラックバスといえば、村上晴彦氏が考案した「常吉リグ」である。今はダウンショットリグと呼ばれるようなものだ。この常吉リグが、本当に大爆発した。
同じ釣り場で、「本当にこんなに魚がいたのか?」と池の中を改めて覗き込むほど、バスが釣れまくった。ご存じのように常吉リグとはザックリと言うと、下にオモリを付けて、上の方にマスバリにワームをちょんがけするという仕掛けで、投げずに、ただ下に落とす。すると足元に着いたバスが、入れ食い状態となる。
まだこの釣り方にスレていなかったせいだろう。その第一世代ユース88年生まれの中坊たちは、まさしく「つねきち!」と叫んだものだ。一時期は女子のスカートの中がどうこうよりも、常吉リグが何にも優先すべきことだったと、私的には断言できる。
バスのリグが複雑化してからソルトへ
常吉リグの功罪は、バス釣りのリグを複雑化させたことではないかと思う。ことワーミングにおいては、「こんなやり方もあるよ」というリグが次から次へと出てきて、おまけに「ノットまでこうした方がいい」という情報も後出しできた。これには閉口したものだ。テキサスリグとクランクベイトとスピナベで十分じゃないか……そう、私は複合リグや派生リグ系が、根本的に嫌いなのである。
部活や勉強があって一時期釣りから離れたが、この頃からソルトの釣りへと戻った。バイクを手に入れ、自分で振り出し竿を買って、明石の消波ブロックに乗って穴釣り。
シーバス、若者に拡がる
大学進学は2007年。大阪の南東で一人暮らし。この場所はあまりにも海も池も川も遠かった。その上私が住まう一帯はすべての野池が釣り禁止で、釣りのしようがなかった。
この時期にシーバスゲームが流行したようだ。いつか私の釣り仲間だった友達は、みんなシーバスアングラーになっていた。バス釣りのタックルそのまま、パターンも何もなく、西の方でまだスレていないシーバスがむちゃくちゃ釣れたらしい。とはいえ、距離的な問題からあまり歯噛みする思いもなく、私の心はしーんとしていた。
そうしているあいだに各地でばっちりと魚がスレてしまい、後からこの釣りに手を出したときには、強烈なノーフィッシュの洗礼を3年近く受け続けるのだが……。
5年前からアジングが大流行
現在のオカッパリのソルトルアーの流行は、まあアジング1つだろうと個人的には思っている。5年くらい前に私が始めた頃から今までで、釣り場で見ているだけで、確実にアジング人口は3倍になっている。私もアジングタックル、メバリングタックルでチヌやシーバスへと派生させながらも、基本的に打率の高いライトゲームから離れようとは思わない。
疑似餌を使って簡単に魚が釣れてしまう、それも再現性高く、おまけに釣れる魚もうまいのだから、ライトゲームは楽しい。しかし、いろんな人がいる。先日釣具店で話したスタッフさんは私より一回り下と見えたが(ならば、彼もトシオトコだ)、「僕はこの時期、磯でアレしてるんで」と寒グレの話をしていた。まったく、もう、なんという……釣り、多様性。
<井上海生/TSURINEWSライター>