昭和の時代から、多くの釣り人達が渡船利用で釣行してきた神戸の沖防波堤は、管轄する行政の権限により立入禁止であることが、明確な形で告知された。渡船店側はこれを受けとめ、令和4年1月から休業に入ったが、一方で渡船再開を目指して行政との新たな協議を行っている。今回の出来事について、知り得た情報などを交えて綴ってみたい。
(アイキャッチ画像提供:TSURINEWSライター伴野慶幸)
沖防波堤が立入禁止に
神戸の沖防波堤で釣りができなくなったことで、釣り人の様々な意見や思いがインターネットを中心に飛び交っている。読者の皆様にはぜひとも、今回の投稿に対しては次の前提条件を理解して、今回の私の投稿をご覧いただきたい。
・立入禁止とされた沖防波堤は、神戸市港湾局が管轄する特定の防波堤(ホームページで公表)であり、それ以外の沖防波堤は今回の出来事とは無関係である。
・立入禁止措置は、行政の権限により正当に執行されている。
・協議の当事者は行政と渡船店であり、個別に行政に問い合わせるなどの直接的なアクションを起こすことは、協議の妨げになる可能性あり(ただし、神戸渡船が立ち上げたインターネット署名に、個人の責任で参加することは自由)。
立入禁止となった経緯
具体的な開始日は定かではないが、そもそもの話として、沖防波堤は条例等の定めにより、関係者以外の立ち入りは古くから禁止されていた。しかしそのことは、世間一般に分かるような明確な形では示されておらず、現実には渡船業が営まれ、釣り人は沖防波堤で釣りをし、令和3年10月頃まではTV、雑誌、ネットなどで釣り場案内や釣果情報の発信が行われていた。
その一方で、一部の心無い釣り人による釣り場のゴミ問題や、漁業関係者、港湾関係者、近隣とのトラブルなどが顕在化し、いつしか釣り人は悪であり危険行為をするかのような疎まれる存在となってしまった。そして、ついには「立ち入りが禁止された場所へ渡船をしている」といった趣旨の通報が行政に寄せられるに至った。
行政側はこうした状況を看過できず、令和2年8月には遊漁船業者に対する警告を発するなど、具体的な対応を始めた。大阪湾岸道路西伸部(阪神高速5号湾岸線の延伸)の建設工事の本格着工を控え、行政側は工事と航行の安全対策上、立入禁止措置を明確に打ち出す必要性が高まったとして、令和3年1月と3月に、立入禁止箇所を具体的に明示して公表した。
10月以降は、沖防波堤の表面に立入禁止の表示を行うとともに、渡船店や釣り業界関係者に対しても通告するなど、行政側は必要な措置を順次進め、神戸の沖防波堤に関する情報は釣り業界から発信されなくなった。
12月に入ると、ついに神戸渡船が「行政との協議に伴い、令和4年1月11日から休業に入る」と公表するとともに、インターネット署名を立ち上げたことで、釣り人は現実に直面せざるを得なくなった。松村渡船、谷一渡船も歩調を合わせて公表を行い、神戸港東エリアの3つの渡船店は協議に伴う一斉休業に入った。これは、渡船店が指定された沖防波堤の立入禁止を受けとめたうえで、そこから新たなスタートラインに立って、渡船再開を目指して行政との協議に臨もうとする真摯な姿勢の表れである。
私がこの投稿を執筆している時点では、神戸港西エリアの河内渡船からの情報発信はなく、一斉休業にも加わっていないが、状況は全て理解しており、他の渡船店とも連携する意向であるとのことだ。
渡船事業が適法に行われていた史実
沖防波堤は行政の管轄する港湾設備であり、立入禁止措置は正当に執行されたものであるが、実は神戸港沖防波堤への渡船事業が、適法に行われていた時期があったのも事実のようだ。神戸港東エリアで1軒、西エリアで1軒の渡船店が、平成27年8月までは、国土交通省から許可を受けた一般旅客定期航路事業として、渡船業を営んでいたという史実は、国土交通省神戸運輸監理部から発せられた過去の資料に残されている。
簡単に言えば、乗船場から神戸港沖防波堤の2点間航路を設定し、釣り人を旅客船輸送していたということだ。この史実は、行政が沖防波堤を立入禁止にしたことの正当性と、行政の許可を得て釣り人を沖防波堤に旅客船輸送する適法性のダブルスタンダード状態が長く続いていたことを意味しており、釣り人と渡船店は一方的に、何十年も不法行為を続けたとは言い難い。沖防波堤への渡船も沖防波堤での釣りも、100%悪でもなければ危険極まりない行為でもなく、渡船再開に一縷の望みはあると、私は密かに思っている。
ちなみに、神戸港西エリアの当時の一般旅客定期航路事業者とは、現在は登録遊漁船業者となっている河内渡船である。