五月晴れの空に優雅に舞うこいのぼり。様々な色合いのものがありますが、そこには意外な裏話がありました。
(アイキャッチ画像提供:PhotoAC)
5月といえばこいのぼり
都城市庄内町の県道沿いにある庄内川堤防で、毎年恒例の「こいのぼり掲揚」が始まり話題となっています。
このイベントは30年以上続くもので、地元の荘内商工会青年部が、地域活性化と子どもの健やかな成長を願って行っています。使わなくなったこいのぼりを市民らから譲り受けてどんどん規模を大きくしていった結果、今では県内外から見学者が訪れる名所となったそうです。
色とりどりのこいのぼり約150匹が優雅に風に舞う様子は、様々なメディアに取り上げられています。このこいのぼり掲揚は、こどもの日をはさみ5月8日まで行われるそうです。(『春風受け、こいのぼり150匹すいすい 都城・庄内川沿い』南日本新聞社 2021.4.12)
こいのぼりの由来
こどもの日にこいのぼりを揚げるのは日本発祥の風習で、江戸時代に武家で始まったとされています。家庭の庭先に、コイの形に模して作ったのぼりを飾るのが一般的なスタイルです。
日本ではもともと武家を中心に、端午の節句が近づくと玄関に「のぼり」を飾る風習がありました。これをとある町人が、のぼりの竿頭の「招代」と呼ばれる小旗のようなものを、コイをかたどったものにかえて掲げたのが広まり、それが現在のこいのぼりにつながったと言われています。
中国の故事に、「黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが、コイのみが登り切り、竜になることができた」という有名な話があります。これにちなんでコイが「出世する魚」と考えられるようになり、やがて「男児が立身出世できるように」という願いが込められ「こいのぼり」となったのです。
色は「東京オリンピック」に由来?
こいのぼりは様々な作品のモチーフにもなってきましたが、その中でも最も有名なもののひとつ、歌川広重の『名所江戸百景』では、大きなマゴイ1匹が描かれています。このように、初期のこいのぼりは「黒いマゴイ」の一色のみでした。
しかし明治時代後半から大正時代ごろになると、黒いマゴイと赤いヒゴイ(緋鯉)が一対で掲げられるようになりました。このヒゴイはもともと男児を表していたようで、童謡『こいのぼり』でもマゴイが父親、ヒゴイが子どもとされています。
これが現在のようにカラフルになったのは、実は1964年の東京オリンピックがきっかけだそうです。とあるこいのぼり工房の職人が、五輪のマークを見て「青や緑のこいのぼりがあってもいいじゃないか」とカラフルなこいのぼりをつくり始めたのだそう。
さらに、それぞれの色のこいのぼりを「お母さん」や「女の子」など家族ひとりひとりに見立てて販売することにより、現在のようにポピュラーとなったのです。発想の勝利と言えるかもしれませんね。(『オリンピックと鯉のぼりの関係』秀光人形工房)
<脇本 哲朗/サカナ研究所>