先日垂水漁港に釣りに行ったときに、港の日陰で、船の免許を取ろうとしている二人の会話にちょろっと混じらせてもらった。釣り人が釣り人以外と話す機会は、意外にそんなにない。「この季節はちりめんやね」という話から、お金の話まで聞かせてもらった。なんでもないような雑談も気持ちいいものだ。
(アイキャッチ画像提供:TSURINEWSライター・井上海生)
真夏、海辺の雑談
夏の海辺では、いろんな声が聞こえる。若者たちが発する嬌声、あるいは露骨な性的表現語句まで、まったく聞いていて「フフッ」と笑ったり苛立ったりするが、まあ…何を喋ろうと自由である。おばさんたちが海辺でスーパーの野菜の話をしていても、別に私は「海だぞココ!」とキレる者ではない。消波ブロックで釣りをしているカップルの、ふと見つめあった瞬間のバードキス。うん、イカしてるね。「出ていけ!」と怒鳴るおっさんと、「なんじゃ!」と応戦するおっさん。海辺の人の姿は美しいものだ。
そんな中、先日、垂水漁港の日陰でタックルの準備をしていると、いつからか隣にいた二人の会話が聞こえてきた。ちょっと盗み聞きするみたいにしていると、どうやら船の免許を取ろうとしているおじさんと若者である。あるいはインストラクター的な人だろうか?
「ちりめんの箱そこいっぱいやね」と指差して言っているところから、我慢しきれなくなって、「この時期はちりめんなんですか?」とおもむろに会話に参加させてもらった。
「今はちりめんやね」
「そうそう、今はちりめんよ」とおじさんの方がニコニコと答えてくれる。いかにも人の好さそうな方だ。仲間の若い方は、今風の細身の青年で、デザインパーマをかけている。なんとも好対照なお二人。
「この時期はずっとちりめんでね、ほら、地面のところ、白くなってるでしょ」
「これ、足で踏むと滑るし、本当に永遠に臭いがとれないんです」
「そうそう、その時期だけで靴は使い捨てるよね。ぬるぬるになって滑るから」
へえ…と頷いて、地面を見てみる。なるほど、この白いカスのようなものが乾いたちりめんらしい。
おじさんの方が空を見ながら、「それにしても雨は来るんかね、来ないんかね」と呟いた。
「僕、須磨の方から電車できましたけど、須磨は降ってましたよ」と私。
「ああそう、ふうん」
「風は西から東ですね。じゃあこっちはもう降らないまま通り過ぎてくれたのかな」と青年が言う。
この地点から東西で言うと垂水は西側で、須磨は東側になる。西から東の風が吹いているということは怪しい雲は垂水の上ではまだしも黙ったまま通り過ぎて、須磨の頭上くらいから雨を降らせ始めたのだ。
それにしても、「ちりめん」というのは何なんだろう…という疑問は、胸の中にしまっておいた。何かの稚魚なのだろう。釣り人界で言う「しらす」も大体いろんな魚の稚魚のことだと聞いたことがある。
――と、今調べてみると、「ちりめん」とはイワシの稚魚を、しっかりと乾燥させらものらしい。「しらす」はそのままか、半分乾いた状態。なるほどおじさんがあの箱をちりめんと言っていたのは、乾燥させている過程だったのか(おそらく。推測です)。
「一番儲けるのは問屋」
「儲かるんですか」とまたおもむろに聞いたのは、金のことばかり考えている貧乏人の私である。
「ちりめんはもう…儲かるよ。でも一番儲けるのはアレ、漁師さんじゃなくて問屋やね」
「問屋ですね」と青年も同意した。
なるほど。朝早いこと起きて、重労働して、モノを捕ってくる。それでも間に入る問屋さんが一番儲けるわけか。俺も問屋になればよかったな、とバカなことを思いながら「それでは失礼します」と頭を下げ、「頑張って」というように手を振る二人から離れると、どうやらそこは関係者以外立ち入り禁止の場所みたいだった。上には食堂なんかもあって、いつか入ってみようと思っていたところなのだけれど。
海辺の人への敬意を持ちたい
釣りの前からこんなふれあいが一幕あって、なんだか心温かいものがあった。まあこの日はトンデモなく暑かったので、温かいも何もなく実際釣り始めてすぐに何もかも忘れたが、冬ならばほっこりみたいなところか。
釣り人と漁師さんはまったく別の者である。遊猟なんてのんびりしすぎたもので、まさか港に係留されている船に悪さをして漁師さんに迷惑をかけてはいけない。生活をかけて漁業を行い、私たちの食卓に良い魚を届けてくれる方々に感謝したい。
<井上海生/TSURINEWSライター>