小学生時代の筆者は、奈良県の田舎で釣りに夢中になっていた。エサが手に入りにくい環境でも、校庭のプランター下でミミズを採集し、家の近くの川で釣りを楽しんでいたのだ。今回の記事は、そんな幼少期の釣りの経験が、現在の釣りスタイルにも影響を与えている様子を綴ったエピソードを紹介したい。
(アイキャッチ画像提供:TSURINEWSライター・あつ)
初めてのルアー釣りは小学生の時
筆者の釣りのルーツは、父親に連れられて行ったヘラ釣りがスタートだ。時間が経つにつれて新しい釣りへとシフトしていくには時間がかからなかった。
小学校4年の時、父親がルアーロッドを手に入れてきた。マミヤ・オーピー(現・オリムピック)から販売されていたロッドで、当時は長さ違いで2パターンしかなかった。ミノーはバスディのシュガーミノーが2つ。
父親はこのセットでアマゴを釣る予定だったらしいが、どうもルアー釣りが性に合わないらしく、程なくして筆者の手元に回ってきた。
そこからブラックバスが釣れる場所がないかと日々探し回る日が続いた。国土地理院発行の2万5千分の1地形図を睨めっこしてため池を片っ端から調べていくのである。当時はインターネットなどはなく、自分だけの情報が頼りの時代であった。
地図にある池を順番に自転車で巡っていくのだが、奈良盆地は歴史的にもため池が多い上に、折角たどり着いても金魚の名産地が近い故に金魚の養殖池であったりすることも多かった。
やっと見つけても自宅から遠く、往復で2時間などは当たり前であった。当時のブラックバスは、幻の魚に近かったように感じる。
人生初のブラックバスをキャッチ
人生初のバスを釣りあげたのはやはり大和川水系の本流の大和川であった。コイ釣りに行ったついでに堰の水たまりにバスの姿を見つけた。
釣れそうにはなかったが、周りにいたナマズなんかが釣れればいいかと思っていたのだが……。ふと足元に落ちていたのが黄緑色のボロボロになったゲーリーヤマモトのツインテールグラブであった。
何とか手持ちのジグヘッドに刺してキャストを続けていると急に重くなった。コイがスレで掛かったかな?と考えていると、寄ってきたのは堰の上から見えていたブラックバス。目が点になってしまうとはこのことで、慌てて慎重に寄せた。
下アゴが少し怪我をしている個体であったが、約40cmくらいの人生初のブラックバスであった。写真など持ち合わせてもいなかったので記録は残せていないが、記憶にはしっかりと残せている。小学生5年の5月であった。
経験が今の釣りに活きる
初めて自分で釣りに行ってから約30年近くなるが、現在も同じことをずっと続けている。一生をかけて楽しめるものだと常々思う反面、やっていることは小学校の頃と変わりはないのである。
しかし、経験は現在の釣りにも当然活きている。例えばルアーの自塗り塗装などは、実際に見た魚と図鑑に掲載されている魚で違うこともあり、それに近い色に塗ったり、当時使っていたエサに近いようなカラーになったりすることもある。
また動植物をイメージしたカラーを塗ったりと、いろいろとアイディアが浮かぶこともある。
実際の釣行では特にネイティブトラウトの釣行でエサで狙う場所はどのような所が多いかというセオリーは理解しているので竿抜けはどの辺りかなど釣り残しの場所を読み取ることもできる。
またアジングではサビキの釣れているタナをジグヘッドのレンジに合わせるなど応用の技術も習得できるようになった。やはり経験というものは何物にも代えがたいものがあるなと感じる事がある。これからも釣りを続けていく限りは経験が増えていくがいつかは伝承できるようになればと思う。
<福岡崇史/TSURINEWSライター>