「釣らない旅」というものがある。勤め人なら、出張とか。何かと遠出する機会とか。これはアングラーの性ではないかと思うのだが、水場を見ると、「ああ……」と嘆くものがある。「釣りがしてえ……」と。私もそんな「釣らない旅」を2023年には二つした。ちょっと話を聞いてくださいよ。
(アイキャッチ画像提供:TSURINEWSライター井上海生)
旅の中で見た水
水場に近づくと、釣りを思うものだ。私は大阪市内在住で、例のアレの道頓堀の川でなくても、近くの<いい臭い>がする用水路を見るだけで、「ここにどんな魚が……」と思いさえする。汚染が強いだけ増して興味がわくというか。
新しいルアーを買ったときなど、ちょっと投げてやろうか、なんてのは半分本気の冗談。というかああいう街中の用水路って、釣りは禁止なのだろうか?ちなみに道頓堀の川には、鮎が棲んでいると聞いたことがある。ふうん。シーバスとかもいるのかな。
旅やお出かけ道中で川や池を見ると、釣りを思わないアングラーはいないだろう。それが普段の自分の釣り場の特性とかけ離れたものであれば、何か懸想のようなものさえかけてしまう。
内陸県の旅
私は2023年、岐阜と奈良に行く機会があった。岐阜はまた、美しい里山と里川という世界で、好きな場所だ。昔、仕事で真冬の飛騨高山に訪れたときには、何も知らず革靴で行って雪道でずっこけまくり、靴を潰した。何もかもが大阪とは違う。
古い友達と会う約束の場所まで、歩いていく途中、透明な川にかかった橋を通った。思わず吐息が洩れるほどの美しさだ。青々と伸びた川辺の草、水の中の藻、そして川の流れとは逆に体をなびかせる鯉の群れ。一種の完全な小世界だ。思うに、釣りと離れられない人は、過去いつかこのような美しい風景に触れ、水の世界にのめり込んだのではないだろうか?
12月の奈良。橿原。冬枯れの小川にも、雰囲気はあった。夏には日照り上がりそうな浅瀬にも、小さな生命はあるだろう。
内陸県なら自分は何を釣るか
さて、お気づきのように、岐阜と奈良ともに内陸県だ。内陸県は全国に何県あるのだろう?あえてここではネットで調べないで、旅をしたり、本を読んだりするそのうちに大体わかったらいいかな。私は海釣りの人間なので、内陸県の川や池を見ると、「ここなら自分はどんな釣りをするのだろう」とつい思う。
昔やったブラックバスはまず堅い。そういえば以前、明石川の奥の方で、そのとき珍しかった兄にライギョを釣られてしまい、私はナマズと、何やらそんな思い出もある。あんなのでも釣れたらいいよな。友人の父親に連れていってもらった里川で、水カマキリや青大将を見た。青大将には噛まれた。少年野球のコーチの車で、ホタルも見に行ったな。思い出の中の憧憬――。
内陸県で釣ってみたいのは、まずマス類をはじめとする川魚だ。それも婚姻色が出ているイワナとか。川魚の模様、綾錦。あれは海の魚にはないものだ。管釣りとか行ってみたり。ネイティブトラウトなら……どこなんだろう?東北かな。
海の魚の物流も考える……
ところで内陸県では、海の魚の鮮度がよくないと聞く。これは単に物流の問題だ。長野出身の友人は、昔は食えたものじゃなかったと呟いていた。そんなものか。今はまた事情もかわっているだろうが、川魚の食卓も趣がありそうではないか。
そういえば、以前釣具店で話した若い女性スタッフさん。もう、娘さん、という感じの童顔の少女だった。アジングするの?と聞いたところ、「管釣りの方が多いですよ」と笑っていたっけ。えええ!?大阪で管釣りできるの、と大げさに驚いたものだが、千早赤阪とか能勢の方かな。そんな奥地に行けば行ったらで、大阪でもまた別の釣りの世界があるわけだ。
<井上海生/TSURINEWSライター>