夢にまで見る「逃した魚」。それが泣きの一尾となってしまったなら尚更だ。釣り人なら必ず、「逃した魚は大きいぞ」という経験を持っているはずである。筆者もいくつかある。無駄話程度に紹介したい。
(アイキャッチ画像提供:TSURINEWSライター・井上海生)
誰しも「逃した魚」経験を持っている
人は誰もがすべらない話を持っているといわれるが、釣り人なら必ず「逃した魚は大きいぞ」という体験を持っているというのが私の持論である。いや、小さいときも絶対にある。むしろ小さいヤツのほうが実際には多いだろう。
しかし、引き感や重量感から、明らかに格別のモノがいるのも確かだ。そういう逃した魚は、まあ実際夢にまで出てくることはなくても、眠る前に何度もその感覚を反芻したりする……。
けれど、どうなんだろうか?本当の本当に、逃した魚は大きいのだろうか?釣れなかった魚は何かわからないし、逃した魚が実際にどんなサイズだったかなんて、まあ正直なところわからない。所詮負け惜しみみたいなものか?だが、そういう経験があるからこそ、「次こそは」と釣り人は釣り場に向かう。
釣りきってなんぼだ(提供:TSURINEWSライター・井上海生)本当に大きかったのか、あの魚
ここで個人的な「逃した魚」経験をいくつか紹介したい。
シーバス
まずは、フィネスのアングラーである私が珍しく本式のロッドを持って、シーバスの岸ジギをしていたときの話である。突然何かがかかった。ぐいぐいと動いて、いっこうに上がってこない。足元でかけた魚である。無理目に勝負すれば姿くらいは拝めるだろうと思ったのだが、それでも浮いてこないのだ。
ファイト時間、あれは何分くらいだったのだろうか?根に潜られて、リフトアップしようとしたところで暴れて切られてしまった。おそらくシーバスであろうと思われる。というのも、同じメタルジグにすでにシーバスがついた後だったからだ。あれがランカークラスなら、泣きランカーということになる。
シーバスに泣いた夜もある(提供:TSURINEWSライター・井上海生)キビレ
続いて、大キビレである。この魚、私の釣る地域ではなかなか45cmより上を見ることがないが、川でアジングをしていると、なかなかデカいのがかかった。すでに消耗させて水面に浮上させたところ、目視でこれは50cmはある!
なんとか取り込もうとタモを伸ばすと、暴れられてスナップが破断してしまった。なんということか。あのデカキビレだけは姿が見えただけに、本当に悔しいものがある。
ハンパなサイズじゃなかったはず(提供:TSURINEWSライター・井上海生)イルカ
それから、まさかのイルカだ。深日漁港でライトショアジギングをしていたところ、青物がかかった。しかし、はてな。夕方に青物である。それもこいつ、相当でかい。
ツバスやハマチクラスなら簡単に取り込んでいるタックルなのだが、どうだろう、何だ?と思ったら切られた。おそらくあの力からして、深日港にずっと居る二頭のイルカのうちのどちらかだと思う。釣れたらどうすればよかったのか?
同じ個体がもう一度釣れることがあるのか?
釣りというのはめぐり合わせで、居着きの魚に関しては、たまたま逃がしたヤツと同じ個体が釣れることはある。私も数年前に確か魚崎のほうの釣り場で、ずっと居ついている70cmのシーバスを念願かなってとることができた。何度目かの勝負でやっと勝ったのだ。
しかし、うようよと同じような魚がいる海や川で、「逃した魚」と本当に再会できることはめったにない。私も先述のシーバスやキビレにルアーを取られたままである。よほどのことがなければ口にルアーがついたままになっていると思うのだが、そのへん、魚のほうでも気色悪くはないのだろうか?
確実に釣り切って喜ぼう
釣りは運もあるが、結局、腕次第だ。逃した魚は大きいぞと夢に見る前に、やっぱり一尾一尾を大切に釣りきってしまいたい。そのためにアングラーは腕を磨くのだ。
そして冒頭にも述べたように、いくらでもあると思っていたバイトが、その1発だけに終わる、つまり「泣きの一尾」になる可能性もあるのだから、魚との一期一会は大切にしたい。
<井上海生/TSURINEWSライター>


