釣り人を敬っていることはないだろうが、「釣り師」という言い方があり、良い呼び方だと思う。ゴルフ師はない。「師」とは、師範や教師など先生と呼ばれる方々だから、釣り師は随分と立派な言い方である。決して先生と呼ばれるわけでもなく「士」にすると男だ女だとややこしいことをいうので「師」であろうか。
(アイキャッチ画像提供:TSURINEWSライター・丸山明)
釣り「師」
釣り人は対処魚によってさまざまな釣り方をする。そして、自分の好きな、また得意な釣りがある。固有の言い方で、磯釣りは磯師、これには上物師や底物師とあり、投げ釣りで投師、渓流釣りで渓師、鮎師もいるし、ヘラブナのへら師などがあるが、ここらはどうも造語だろうが、興味深い表現だ。
沖釣りに「師」は付かない?
その造語でも船釣りを専門にしていても船師とも沖師とも造語であろうとも言わず、字として見たことも聞いたこともなく、船長任せだからか。ボート釣りが好きな私は、ボート師…、誰も相手をしてくれそうもなく寂しい。
釣りをしない人でも「釣り師」は理解できても、へら師だと「???」だろう。どうやら、釣りの同好諸氏の言葉となってしまうか。釣り人が、いろいろ試行錯誤で、数でも大きさでもなく探究心深くなると「師」となるようだ。
個人的には、渓流を釣る渓師のお話は興味深いし、夏ヤマメ一里一匹とかいうような苦労の末の一匹など、ボートとは全く違うシーンが素晴らしく感じるが、ポイントを見つけ出す苦労は似ているようだ。
釣り士もあったかもしれない
古く庄内藩(現山形県庄内地方)では、釣り道が武士のたしなみとされたということだから、奥が深い。
クロダイ釣りの伝統的な庄内竿は、その流れだ。その時代に、三間も四間もある長い竹の延べ竿を侍が担いで海に行ったそうである。
釣り師の語源に関係するのかどうかはわからないが歴史が深い話であり、庄内藩は山形県鶴岡市出身の藤沢周平氏の時代小説での架空の藩「海坂藩」として多く登場する。侍の釣りの話が少なくなく、武士だから釣り士だったかもしれない。
なぜ釣り人が釣り師と言われるか、広辞苑には腕の良い釣り人とある。となると、やはり先生だ。まだ、釣り人でしかない私だが、志を豊に釣り師になれる努力をしよう。
<丸山明/TSURINEWSライター>