お寿司にとって「ワサビ」は欠かすことのできない相棒のような存在かと思いますが、なぜお寿司にワサビを入れるようになったのか。その理由について調べてみました。
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寿司に欠かせないワサビ
ツーンとするけど、美味しさが増しクセになる「ワサビ」。
今となってはこの「寿司+ワサビ」の組み合わせは常識のように定着してはいますが、じつはこの文化の歴史はそこまで古くはありません。
いったいなぜワサビが使用されるようになったのでしょうか。
なぜワサビを入れるのか
まず第一にわさびを入れる理由ですが、そもそもは風味を楽しむものではなく、殺菌の為だったと言われています。
ワサビの辛み成分・アリルイソチオシアネート(AIT)には強い殺菌力があり、生魚の菌を殺し、保存期間を長くすることが出来ます。
今では冷蔵庫や冷凍庫など当たり前のようにありますが、まだ電化製品の発達していない時代では、生魚はすぐに腐ってしまいます。
今となっては当たり前のようにアルコールで除菌したり、薬品を使っていますが、当時はワサビに含まれる天然成分によって除菌をしていたと考えられています。
また、ワサビのよって殺菌することで、生臭さを抑えることもできます。ワサビは美味しさを保つための必要な薬味だったのです。
ワサビの相棒は蕎麦?
そもそもの始まりは様々な食文化が発達した江戸時代だと考えられています。
中でも江戸の四大名物食(蕎麦きり、てんぷら、うなぎ、握り寿司)は特に人気で、蕎麦の薬味としてのワサビ利用に関しては、具体的な時期は不明ですが、1751年に江戸の蕎麦通日新舎友蕎子が書いた「蕎麦全書」に、大根の辛いものがないときの代用品として「山葵」を使うと書かれています。
これが最も古いワサビに関する情報であり、四大名物のうち最も歴史が古い食べ物が蕎麦であることから、一番最初の相棒は蕎麦だった可能性が高いです。
寿司文化の浸透
江戸時代、握り寿司は「江戸の郷土料理」という位置づけでしかありませんでした。
それが急速に全国に広がったのは、大正から昭和初期にかけてとされており、関東大震災(1923年)で被災した料理人が東京をはなれ、地方に移り住み、江戸の食文化が一気に拡がったと言われています。
さらに、太平洋戦争でも東京を追われた職人も数知れず、握り寿司が広がる大きな理由になったとされています。
しかし、当時の「寿司」は全国各地で特色のある様々なカタチで存在していましたが、今の「握り寿司」というカタチが日本中に広まったのにはもっと大きな理由があります。
寿司は加工業?
実は1947年に「飲食営業緊急措置令」という法令が出されたことで日本中の飲食業はかなりの打撃を受けました。
戦後の食糧難のもと、アメリカに食料援助を受ける状況で、外食産業が規制を受けたのです。
当然、寿司屋も対象となるはずだったのですが、東京都の寿司商の組合が交渉し、【一合の米と引き替えに加工賃を取り、十貫の握り寿司を作る】ことで、寿司屋は飲食業ではなく「委託加工業者」として営業の許可をとることができたのです。
その結果、全国各県の寿司屋がこの方式を取り入れたため、結果的に、江戸のスタンダードである「ワサビの入った握り寿司」が広まったと考えられています。