日本食に欠かせない材料といえば、やはり魚介の「出汁(だし)」。その歴史は古く、出汁の起源は、実は縄文時代にまで遡ると言われています。
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和食の命でもある出汁(だし)
出汁なんて味噌汁でしか使わないんじゃないの?中には、和風顆粒だしが登場したことで、かつお節や昆布などの乾物から出汁を取っていることを知らない人もいるかもしれません。
しかし和食の味付けの基本はかつお節や昆布などから引いた「出汁」です。味噌汁だけでなく、煮物やおひたしなど様々なものに出汁は使われており、「和食を特徴づける重要な要素」あるいは、「全ての料理の基本となるくらい重要なもの」と表現することができるでしょう。
出汁の歴史
日本の食文化にとってなくてはならない存在である「出汁」の歴史は古く、その起源は縄文時代までさかのぼると言われています。
火を使うようになり、人類は木の実や魚、貝や肉など、様々な食材を土器で柔らかく「煮る」調理を施して食べることを覚えました。特に縄文時代の遺跡から食べ終わった貝を捨てていたと考えられる「貝塚」が見つかっています。この貝塚からもわかるように縄文人は、尋常でないほどの貝を土器で煮て食べていたはずです。
そして貝をはじめとした様々な食材の煮出し汁が、食べ物を美味しくすると気づき、煮出し汁、すなわち出汁という概念が生まれたと言われています。
魚介出汁は奈良時代に登場
現在、日本の出汁の主流は、「鰹出汁」と「昆布出汁」ですが、これらが歴史資料に初めて登場したのは奈良時代です。
古事記などの資料の中でカツオだと推察される「堅魚」や「煮堅魚」、「煮堅煎汁」といった記述があったことから、この頃からカツオが食べられていたと考えられています。
同様に昆布についても上納品として扱われていたことが記載されており、奈良時代からカツオや昆布が食材として調理に使われていたことが伺えます。
そして、鎌倉時代に成立したとされる『厨事類記』の中には、「タシ汁」という言葉が確認でき、これはコイの身を食べるための液体調味料ではないかと推測されています。また、室町時代後期の文献になると、食材としてではなく、「出汁」の材料としての記述が残っており、この頃には、一般的に『出汁』が浸透していたことが分かります。
江戸時代では、当時の代表的な料理書である「料理物語」などの文献に『出汁』を利用した料理がいくつか登場しています。昆布と鰹節との『合わせだし』の記述もあることから、このころには現代と同じような『出汁』の取り方が行われていたと考えられています。
出汁文化と日本の風土の関係
和風出汁として一般的に活用されるものには、鰹節、昆布、煮干し、しいたけなどさまざまなものがあります。
日本は海や山に囲まれているため、自然豊かな環境下でこれらの食材を簡単に手に入れることができます。
これは日本の出汁文化が発達した大きな要因といえるでしょう。しかし、豊富な食材が手に入ったこと以外にも出汁文化が発達した大きな理由が2つあります。
肉食禁止文化
そのひとつが肉食禁止の文化です。日本では、江戸時代初期頃まで、家畜を食べる習慣がほとんどありませんでした。
奈良時代に伝来した仏教における肉食禁止の考え方が、稲作に有益な動物の保護という考え方と共鳴し、次第に肉食を穢れ(けがれ)と考えるようになったためだと言われています。
このような背景から、日本人の主要食材が米を中心とした穀物や野菜、魚介類に変化していきました。それに合わせて、旨味を補うための「出汁文化」が大きく発展していったと考えられています。
軟水と出汁の関係
そしてもうひとつが【水】です。
水には、大きく分けて「硬水」と「軟水」の2種類があります。私たち日本人が普段、水道の蛇口をひねり、飲んだり、調理に使用している水道水は「軟水」です。
出汁を取る際、ミネラル分が多い「硬水」だと、ミネラルが邪魔をしてうま味成分のイノシン酸やグルタミン酸が溶け出しにくいじょうきょうになります。さらに、ミネラル分がアミノ酸と結びついて灰汁がたくさん出てしまうのです。
それに比べ、日本の「軟水」だとミネラル分が少ない分、うま味がしっかりと抽出できるため、豊富な食材から色々な出汁を作り出すことができました。
日本の環境が他国に比べて出汁をとることに適していたとも言えるでしょう。