釣りは日常に潜み、日常を侵食する。ふとしたときに魚を感じ、社会生活の中でも魚を釣ってしまいかねない。「釣り人あるある」だと思うのだが、たとえば魚の話を人がしているのを聞いたらめちゃくちゃ入りたくなったり、あるいは魚を思わせることに過剰反応してしまうことがないだろうか?今回は「日常に潜む魚と釣りへの過剰反応例」を、なかなかの魚神経症の私が語っていきたい。
(アイキャッチ画像提供:TSURINEWSライター・井上海生)
日常の中に潜む釣り
「床屋には常に釣りの話がある」とは我が持論だ。だからお洒落な美容室なんて行く気にならないんだよな。「お客さんはどうせどうやっても同じ髪型にしかならない」と以前、とある若い美容師さんに言われたこともあるしね。千円カットでアジの回遊情報を得られたら儲けものだ。
そんな直接的なものじゃなくても、何かと釣りに関連することには日常の中で過剰反応してしまう。私は常日頃心が干潮潮止まりだが、釣りに関することでは一気に蘇生する。
蘇生といえば、実際、交通事故で死にかけたとき。自分の怪我も嫌だったが、何より車がパーになったことと、友人が運び出してくれたという釣り竿とリールの状態が心配で仕方なかった。釣りが脳内を侵食しているのだ。退院して最初にやったことは、その確認と、道具の水洗いである。
さて、前置きが長くなったが、私が個人的にやらかした「日常生活の中の釣り」を紹介したい。およそ海とも川とも近くない街中で、なんでこんなことをやってしまうのだろうか?
携帯のバイブにアワセ
これが最たる例だと思うが、私は携帯電話のバイブにアワセてしまったことがある。確か数回ある。一回は明確に覚えているだけ、おそらくもっとやっているのだろうと思われる。
これはアジングの癖だった。パッと腕を上げてしまった。そのときあんまりアジが釣れていなかった分、夢にアジが出て、日常にも出たみたいな感じ。ちなみに、アワセ遅れていた。
ルアー型の落とし物を凝視
夏。やばい時期だった。その日は異様に虫が多く、地面など見たくもなかったのだが、私の心は突如異常な好奇心で満たされた。なんだ!?ルアー落ちてない!?
凝視する。白い細長い物体。タバコではなさそうだぞ、硬そうだし何かクビレてるもん。
しかしそこでハッとした。ちょっと電車急いでいるんだった。でも何だったんだろう?
正月の鯛がマンションの玄関にある・・・・・・
エビスの缶だって鯛を持っているわけだし、鯛というのは福の象徴だから、どっかで見かけたってそんなになんとも思わないようになっている。子どもにだってもっともポピュラーなんじゃないだろうか。この魚何でしょうかと聞いたら、もう小3なら「タイ」と正答率80%は超えるだろう。
そういえば私はタイを釣ったことがない。でもチャリコを釣って、横からお母さんに手を引かれてやってきた子どもにタイを見せてやると喜んでいた。そんなほがらかな魚でもあるのだ。
何このタイ!?
しかし魚神経症の私をなんとまあ身も蓋もなく一撃したものがある。正月。マンションのエントランスに、なんとタイが飾られていたのだ。飾り鯛とでも言うのだろうか?私の住まうマンションは貸主がクセスゴ個人家主さんでもなく、普通の会社である。よって、これは個人の手によってそなえられたものと思われる。
ご覧の通りこのタイ、RAWなのだ。いや調理されているので生とは言えないが、つまりプラスチック製とかじゃなく、生身の本物のタイ。ある意味世界に一匹のタイ。タイそのものの大きなサンプルとも言えるだろう(?)。
しかもこいつ、正月を1週間過ぎてもまだ飾られていた。いよいよ決意して、私が責任をとって自分のゴミ袋に入れて捨てた。でも笑わせてもらいました。ありがとうございます。
<井上海生/TSURINEWSライター>