ストレス社会にコロナによる生活様式の変化で「うつ病」患者が世界的に増加しているといいますが、実はいま「抗うつ剤」が自然環境にもたらす影響が問題となりつつあります。
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「抗うつ剤」でザリガニが大胆に
先日、アメリカの学術雑誌「Ecosphere」に発表されたザリガニについての実験と、その結果をまとめた論文が、世界的な注目を集めています。その内容は「河川に生息するザリガニが、抗うつ剤の影響で『大胆になっている』というもの。
実験では2週間にわたり、人工的な水流の中で、ザリガニを1Lあたり500mgの抗うつ剤成分にさらしました。そしてその後に餌の匂いを嗅がせ、彼らがどのような行動をとるかを調査しました。
論文によると、薬物にさらされたザリガニはそうでないザリガニに比べ、隠れ場所から顔を覗かせるのが2倍早く、外に出てくるのは1分ほど早く、また餌が置かれた部分に滞在した時間は3倍以上だったといいます。これは彼らが本来もつ警戒心が弱くなっていることを示唆します。
こうした行動の変化で、ザリガニは捕食者から攻撃されやすくなる可能性があります。また、このような行動変容が河川の環境に大小の影響を及ぼしていくことで、いずれは河川の生態系全体にもなにがしかの影響が及ぶことも考えられるでしょう。(『川に流れ込む抗うつ剤でザリガニが大胆に、米研究、不要な薬を水に流さないで』ナショナルジオグラフィック 2021.6.23)
なぜこのような実験を?
我々ヒトの治療に使われる抗うつ剤は、水中に溶け込むと、そこに生息している水生動物にも影響を与えることがわかっています。ヒトがこれらの薬剤を飲むと、そのうちのごくわずかな量が尿や便と一緒に排出されて、不完全な下水処理設備や、薬剤を除去する能力のない廃水処理施設から、環境に放出されてしまいます。
そのような薬剤の成分が水生生物たちの体内に入り込み、影響を与えるといいます。現在最も一般的な抗うつ剤の種類である「選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)」は、上記のザリガニのように、さまざまな水生動物の「不安を感じ警戒する」行動を減少させ、ときには更に攻撃性と運動量の両方を増加させることがわかっています。今回の実験は、その実様を調査するために行われたものです。
今は新型コロナ感染症流行に伴う生活様式の大きな変換が起きており、それに伴い抗うつ剤の処方量が増えていると言われています。それはすなわち環境下に放出される抗うつ剤成分も増加しているということであり、環境に与える影響が懸念されています。
「環境医薬品」による汚染
実は1970年代ごろにはすでに、河川水中からヒト用の医薬品の成分が検出される例が確認されていたといいます。それが直ちに生き物たちを殺すわけではなくとも、目に見えないような影響を与えるのではないかということが懸念されています。
医薬品成分が水生生物たちにもたらす影響には、生殖異常、免疫系の異常、行動異常などが想定されています。影響が甚大な場合、その水域における当該種全体の生息数に影響が出る可能性もありえるため、深刻な問題となるでしょう。
水生生物に影響を及ぼすのは上記の抗うつ剤だけではなく、アレルギー薬、高血圧の治療剤、喘息の薬、胃薬なども可能性があるといいます。このような「自然環境中に逸出してしまった医薬品成分」は環境医薬品と呼ばれており、今後、環境問題における大きなトピックの一つになることが予測されています。
この問題について我々ヒトができることは、薬剤の乱用を防ぐ、飲まない薬は薬局に戻す、流しに捨てないなどがあります。どれもすぐにできることであり、かつ個人の行動変容が改善にあたり大きな意味を持つものです。もしよかったら、みなさんもこの「環境医薬品」問題のことを心の片隅にとどめておいてみてください。
<脇本 哲朗/サカナ研究所>