人生最高フィッシング:村田基 東京湾シーバスゲームに思いを馳せる

人生最高フィッシング:村田基 東京湾シーバスゲームに思いを馳せる

村田基さんの「人生最髙フィッシング」。思い出深い釣りを振り返ってもらいながら、それを通して学んだことや魅力について語ってもらった。

(アイキャッチ画像提供:村田基)

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東京湾シーバスゲーム

人生最高の釣りは?

村田 基さん

「これ」とは決めにくいけど、海外ならアルゼンチンのドラード、アマゾンのピーコックバス、パプアニューギニアのパプアンバス、オーストラリアのバラマンディー、アラスカのサーモン……。日本では、北海道のサーモンフィッシングや、東京湾のシーバス、沖縄のトロピカルフィッシングは印象深いね。

 

なかでも東京湾のシーバスは意外ですね

人生最高フィッシング:村田基 東京湾シーバスゲームに思いを馳せる1970年代後半の様子(提供:村田基)
村田 基さん

1975年前後だったと思う。ボートから狙うようになったのは翌年だね。雑誌などで「東京湾のフッコ釣り」などと紹介されていて、やってみようと思ったんだ。

 

当時のタックルは?

村田 基さん

バス用のスピニングとベイトタックルを用意して、ルアーはラパラCD9~11。メタルジグはスティングシルダー。

 

現在のルアーとの違いは?

村田 基さん

1976年ごろは18~28g(1oz)といった軽めのジグ。それが85年ごろから28~40gに、その10年後には28~60g、さらに2015年ごろは60~80g、現在では80g主体に100g以上を使う人までいて、3~4倍重くなっている。狙う水深はいまでも変わらないのに。

ミノーも80~90年代は7~9cmが主流だったけど、2000年代からは11~14cmを普通に使うようになり、最近は冬場にデカいコノシロを捕食する魚を狙ってビッグベイトを使う釣りも人気。なぜだか分かるかな?

 

ルアーが大きくなった理由

ルアーが大きくなっていった理由とは?

村田 基さん

釣れないとなぜかルアーを小さくしてしまうアングラーが多いなか、大きくて速い動きのほうがアピールするというシンプルなことに気付いた釣り人や船長たちが大きいルアーを使うようになっていったというのがあると思う。

もちろん大きくて重いルアーを扱える道具が気軽に手に入るようになったということもあるだろうけどね。

 

大きいルアーのデメリットは?

村田 基さん

それだけで釣りが成り立ってしまうだけの力があるので、気が付いたらそれしか投げていない……ということになりやすい。やっぱり、いろいろなタックルやルアーを選ぶ楽しさっていうのもあるからね。釣り具店にとってはルアーひとつだけしか買ってもらえないんじゃ厳しいし(笑)。

 

東京湾シーバスの変遷

「東京湾のシーバスは増えた」という話をよく聞きますが、どう思いますか?

人生最高フィッシング:村田基 東京湾シーバスゲームに思いを馳せる海外から来日したアングラーをエスコート(提供:村田基)
村田 基さん

90年代に入ると減って、2000年代に45~70cmが数釣れるようになった印象だね。

 

要因は何だと思いますか?

村田 基さん

90年代にルアーフィッシングが浸透して、キャッチ&リリースが定着してきた結果だと思う。持ち帰るための大型クーラーを持ち込む人は少なくなったね。

 

「この釣りは流行る」と思いましたか?

村田 基さん

あまり流行らないだろうなと思っていた。バスフィッシングであれば、湖上を疾走するバスボートを見て「いつか俺も……」というあこがれを抱かせる部分があったけど、そういうのがなかった。

特にシーバスは岸からの釣りの延長で、投げるのはエサからルアーになったけど、胴長履いてやるような釣りとしてメディアが紹介してしまったのもあると思う。

陸っぱりとボートでは、まったく違う魅力があって、ボートならキャストで狙ったピンポイントから魚を引きずり出すのが快感だよね。そんな魅力を釣り人があこがれるような最先端の釣りとして紹介できていれば、かなり流行ったかもしれないね。

 

スピンソニック登場の衝撃

「村田さんとシーバス」と言えば「スピンソニック」(ウォーターランド)の登場は衝撃でした。どういう経緯で普及していったのでしょうか?

人生最高フィッシング:村田基 東京湾シーバスゲームに思いを馳せるシーバスの効果絶大なスピンソニック(提供:村田基)
村田 基さん

1980年代後半「シーバス=ミノーかジグ」という時代に「じゃあクランクベイトやバイブレーションでは釣れないの?」ということで、雑誌の企画で検証したところ、ラトリンラパラとウォーターソニックという2つのバイブレーションで爆釣。

その後、金属製の後者にブレードを取り付けたのがスピンソニック。すぐに300万個売り上げました。「シーバス=ミノーやジグ」というような決めつけはよくないってことだね。

 

釣果は様々な要素の産物

固定観念に縛られない秘訣があれば教えてください

村田 基さん

釣りに関する情報はあふれているけど、誤っていたり、偏った情報であったり、釣り禁止の場所から配信しているものもある。また、メーカーなどが発信する情報も必ずしも正しいとは言えないものもある。

だから、釣り人に正しい情報発信をしようと「奇蹟の釣り大学」っていうオンラインサロンを始めたんだけど、そこでよくある質問が「何を投げれば釣れますか?」とか「どこに釣りに行けば釣れますか?」といった漠然としたもの。こういう質問には「どこで釣りをするのか?」や「どんな道具を持っているのか?」とか「日中?夜?」ということを聞きながら回答するようにしている。

「○○さえ持っていれば釣れる」とか「○○に行けば釣れる」とか、そんな単純なものではないというのを理解するってことが重要じゃないかな。

 

釣りキッズへの思い

黎明期からのシーバス釣りを見てきて「現在の釣り人はここが変わったな」と思う部分はありますか?

村田 基さん

ルアーフィッシングが浸透して年代後半に釣り人が爆発的に増えた。右も左も分からない人が多いから当然は長く続かない。だから、2000年初頭から2015年ごろにかけて、釣り人が離れてしまい、業界全体が低迷。でも、それ以降は、一気に増えた時代を知らない世代が少しずつ増えてるという印象だね。

現在の、コロナウイルス感染症防止で三密を避けて家族で気軽に楽しめる遊びとして、ルアー釣りをやる子どもが増えていると思う。

 

“子ども”といえば、村田さんは『スーパーフィッシンググランダー武蔵』の「ミラクルジム」として、当時のバス釣りキッズの師匠のような存在ですが、今のキッズたちに、メッセージをお願いします。

村田 基さん

今年「コロコロアニキ」(小学館)で復活したし、動画配信などで過去のアニメ版も見られるので、子どもたちに見て欲しい。

90年代後半に釣り人が一気に増えたため、一部のマナーやルールを守らない人のせいで、釣り人は肩身の狭い思いをすることになった。そうならないためにも、立ち入り禁止場所には入らない、ゴミは持ち帰るというようなマナーを、小さいうちからしっかりと身につけてほしいし、大人たちはそういうことを子どもたちに教えてあげないといけないね。

 

村田基(むらたはじめ)さんプロフィール

1958年生まれ。潮来つり具センター(茨城県)代表にして「王様」「ジム」の愛称でおなじみのルアーフィッシング第一人者。

人生最高フィッシング:村田基 東京湾シーバスゲームに思いを馳せる自他共に認める「日本一忙しい釣具屋のおやじ」(提供:村田基)

<週刊つりニュース関東版 編集部/TSURINEWS編>

この記事は『週刊つりニュース関東版』2020年6月5日号に掲載された記事を再編集したものになります。