様々な俳句に詠まれる初夏の魚「初鰹」。今でもスーパーなどで見かけるこの言葉ですが、そもそもなぜ人々は初鰹にこだわってきたのでしょうか。
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初夏の味として知られる初鰹
桜もすっかり散り、葉桜となりました。クスノキやイチョウなど、街中の木々も緑の若葉を芽吹き始めるこの時期、頭をよぎるのはやはり、あの魚の名前。
そう、『初鰹』です。
「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」は江戸時代の俳人・山口素堂の詠んだ名句です。それほどに江戸の人に好かれた初鰹ですが、そもそもなぜそこまで珍重されることになったのでしょうか。
初鰹とは
初鰹は東京周辺では5月頃、まさに青葉の美しい時期に漁獲されるカツオのことを言いますが、より包括的な定義で言えば「黒潮に乗って北上するカツオ(登り鰹)の初物」のことを指します。回遊時期が早い九州では3月ごろに「初鰹」が漁獲されますし、カツオの一大漁場となっている宮城県沖ではシーズンはもう少し遅れます。
この時期のカツオは、イワシを追いかけて北上している個体で、まだあまり脂が乗っていません。刺身にすると皮下脂肪が少なく、透明感のある真っ赤な身質が特徴になっています。
江戸っ子の初物好きが所以
一般的にサバ、マグロ、アジなどのいわゆる青魚は、脂の乗ったものが珍重されます。その中でカツオだけなぜ「初鰹」が珍重されたのか、そこには江戸っ子の「初物好き」のカルチャーが要因としてあります。
和食には「走り」という考え方があります。どんなものでもシーズンのはじめは珍しさが先行し、値段も高くなってしまうものですが、値段など気にせずに「走り」を買うことこそが江戸っ子にとっての「粋」でした。
なによりもいなせであることを良しとする江戸っ子にとって、高価な初鰹はまさに憧れの存在。江戸時代後期には、当時のトップ歌舞伎役者であった三代目中村歌右衛門が3両もの大金(1両は現在の9万円ほど)で初鰹を購入し、大部屋役者たちに振る舞ったこともあったそうです。(『初鰹』「暮らし歳時記」)
「初鰹は女房子供を質に置いてでも食え」なんていう言葉も有名ですが、一方で張った見得の責任は重く「初鰹女房に小一年いわれ」(高い初鰹を無理やり買ったことを、1年近く女房にチクチク言われている)という川柳も生まれたそうです。(『NO.12 江戸の初鰹』「江戸食文化紀行」)
また「初物」を食べることには、縁起を担ぐという意味合いもありました。古くから「初物を食うと寿命が75日伸びる」という言い伝えがあり、どんなものでも初物というだけで珍重されました。初鰹はその代名詞的なものだったのでしょう。
カツオの旬とは
さてそんな初鰹ですが、江戸時代の頃であっても、高知県などカツオの産地においてはさほど人気がなかったとも言われています。むしろ、漁獲量が多く、脂が乗って食べて美味しい夏から秋のカツオ、つまり今で言う戻り鰹が好まれていたそうです。
初鰹や、さっぱりした赤みこそがカツオの魅力だ、と思う人にとってカツオの旬は春から初夏にかけて。全体をパリッと焼いて、柑橘の風味豊かなタレを掛けて食べるカツオのたたきが絶品です。一方で脂のこってり乗ってとろけるものこそが美味しいカツオだと思う人にとって、旬は秋になります。厚めに切って刺身にしたり、角煮などの濃い味付けが美味しいですね。
ほかにも、鰹節やなまり節には脂の乗っていない時期の個体が向いており、利用法や調理法によって旬が変わる魚だということができます。このように、時期によっていろいろな顔を見せることこそが、カツオという魚が長く愛されてきた理由だと言えるかもしれませんね。
<脇本 哲朗/サカナ研究所>