見た目は恐ろしいけど食べると美味しいマイナー深海魚「クロシビカマス」。そのおどろおどろしい見た目によく合う「伝承」があります。
(アイキャッチ画像提供:茸本朗)
神奈川の美味しい魚「スミヤキ」
神奈川県に面する相模湾は日本でも有数の水深があり、とくに西側はすぐ沖合に水深1000mよりも深い海域が広がっています。そのため、他の地域ではあまりお目にかからない深海魚も水揚げがあり、その食文化も現在に残っています。
そのような「西湘地区で水揚げされる食用深海魚」の代表的なもののひとつが「スミヤキ」です。スミヤキとは神奈川県における地方名で、標準和名はクロシビカマスといいます。
この魚はクロタチカマス科というグループに属しますが、同科はサバ科並びにタチウオ科に比較的近縁とされています。実際のところその見た目も、サバの胴体にタチウオの顔をつけて真っ黒に塗ったという趣きです。
見た目は黒くて地味だけど……
このクロシビカマス、流通に乗ることはあまりありませんが、一方で神奈川県西湘地区を始め産地ではなかなかに人気のある魚です。なぜなら非常に美味しいから。
その怖い顔と真っ黒な体色を恐れず捌いてみると、きれいな白身が顔を出します。包丁にはべっとりと脂がつき、触れた指がテカテカと光るほどです。脂は全身に及び、ときに「全身大トロ」なんて呼ばれることもあるほどです。
そんなに美味しいのになぜマイナーなのか、それは「小骨が非常に多い」から。皮下の肉に埋もれるように大量の小骨があり、太くはないものの長さは5cmほどにもなります。これのため普通の刺身にすることはできず、スプーンで身を掻き出してネギトロやなめろうのようにしたり、塩焼きなどの加熱料理にされることが多いです。
黒くなったのは「呪い」のせい!?
この魚、釣り上げた瞬間はやや鈍い鉄色のような色合いで美しいのですが、みるみるうちに黒く染まり、死ぬと真っ黒になってしまいます。そのあまりの黒さから、この魚が水揚げされる和歌山県南紀地方にはちょっと恐ろしい伝承が残っています。
かつてこの地域にあるお寺では「補陀落渡海(ふだらくとかい)」という仏教の修行が行われていました。これは、南海の向こうにあると言われた極楽浄土にたどり着くべく、肉体的な死を前提とした船出をするというです。
南紀勝浦では、この補陀落渡海に20人以上の僧が挑んだとされています。しかしその中に、死が怖くなって戻ってきてしまった僧もいた、という真偽不明の話があります。補陀落渡海は人々の祈りと期待を背負って行われるものだったので、帰ってこられたのでは困るということで、人々はその僧を殴り殺し、再び船に乗せて沖に流したのだそうです
それ以来、その周囲では全身が真っ黒な魚が採れるようになり、人々は「あの僧の呪いだ」と噂し合ったのだそうです。
実際のところ、クロタチカマス科をはじめ、深海性の魚には真っ黒なものが多く、決して呪いのために黒くなったのではないでしょう。ただ、その恐ろしい形相と漆黒の色合いからは、そのような悲しい伝承が生まれる余地は十二分にあると感じます。
<脇本 哲朗/サカナ研究所>