先発組の渓流解禁が一段落。待望久しかったアマゴたちとの再会を果たした読者諸兄も少なくないはず。3月になるとほとんどの河川が川開きを迎え、あちこちで渓流師の姿を見る機会が増えることだろう。
この先、雪が解けて桜が咲き、芽吹きの季節へ向かって楽しみな出会いが待っているはず。メモリアルフィッシュとの出会いを夢見る同志諸君、しばしのお付き合いをお願いしたい。
ターゲットへのアプローチについて
本流では自分のスタンスよりも上流で魚を掛けるのが難しい。
これはひとえに長ザオの性格によるもので、自分より上手では仕掛けを張ることができずアタリが分かりにくいことと、着水した仕掛けが流れにナジむのに時間がかかるため、エサを魚の着き場へ送り届けられないことが原因だ。
したがって必然的に立ち位置はポイントの上手となる。
右岸に立った場合は、自分の正面を12時として、2時辺りにスイートスポットがくるようにスタンスを取ろう。
もちろん、いきなり流れに立ち込む必要はない。
まずは水際に行く前に、立ち込まずに探れる場所がないかの確認を怠らないことだ。
長ザオは離れたポイントを釣るためのアイテムだが、アマゴの潜んでいるのが流芯ばかりとは限らない。
特に早朝などは、緩い流れに定位していることが多いから、ヘチやトロ場も侮れない。
岸から離れて釣るのにも、長ザオは有効であることを忘れてはならない。
右岸に立ったなら、エサを打ち込む方向は11時。
思い切り振り込む必要はなく、8分目も飛べば上等。
なぜなら、遠くへ打ち込んだエサは、イトを介してサオ先につながっている以上、必ず手前に寄ってきてしまうからである。
これでは仕掛けが流れを横切ることになり、せっかくの長ザオで稼いだはずのおいしい餌付く区間を、自ら縮めてしまっていることになるからだ。
川底は基本的に凸凹しており、その地形が作り出す複雑な流れを利用してアマゴは定位している。
エサを獲る気の魚は、カワムシなどが多く流れ着く場所に構えているはず。
当然あなたの送るエサも素直にその流れに従えば、アマゴの待つ場所に向かってくれるはずなのだが、どっこい穂先からイトにつながれたことが災いして、餌付く区間からの脱落を余儀なくされてしまうことになる。
ではどうしたらそれを矯正できるのだろう。
答えは簡単。
仕掛け全体を流れなりに任せてやればいいのである。
イメージとしてはエサが着水して仕掛けが吸い込まれ、目印が立ったら決してイトを張り過ぎずにふんわりと送っていけばいいのである。
こうすることでエサは狙った流れの中を漂うことになり、待ち構えたアマゴの口に吸い込まれてサオが曲がる、とまあ、言葉で言えばこうなるのだが、なかなかそうはいかないのが現実だ。
仕掛けの流れ方のバランスは、極小オモリを足したり外したりである程度はまかなえるが、最大の難敵は実は釣り人自身の中にあることを知ってほしい。
イトフケが邪魔をしてアタリが出ないのではないか、魚がエサをくわえるのは一瞬なのに、イトを張っていないとアワセが遅れるのでないか……。
釣り師はいつも内なる敵と対峙している。
流すテクニックを上達させるより、むしろこいつを黙らせる方が難しい。
これに打ち勝つ精神力はターゲットを釣ることでしか成長させられない。
完敗を恐れず、何度たたきのめされてもしつこく食い下がって流れに向かう者だけが、この壁を乗り越えられるのだ。
いつか訪れる歓喜の瞬間を夢見て努力を続けてほしい。
素晴らしき出会いを作ろう
初めて本流ザオを手にした日から、20年近くの歳月をへた今でも、確固たる王道を見つけられないのが私にとっての本流釣りだ。
納得のできた日、結果が出ず帰り道のつらい日、いまだに交互に訪れる。
だからこそ挑戦し甲斐があるし、得られる達成感も大きい。
まずは1匹に出会うことだ。
そして、その感触が手にある間に、次の出会いを作ること。
この2つこそが本流釣り上達への近道だ。
初めのうちはどうして釣れないかではなく、なぜ釣れたのかをよく考えてみよう。
水の状態、時期、気象などの自然条件から、いつ釣れたのか、どこをどう流したのか、アタリはどうだったのか、エサは何を使ったのか……。
分析して記憶することは山ほどある。
それら1つ1つを引き出しに仕舞い、事あるごとに取り出してみよう。
そんな作業の繰り返しが大いなる武器となっていくのである。
本流で出会うアマゴは素晴らしい。
白く太い体躯に薄墨を流したような淡いパーマーク、ピンと張った分厚く大きな尾ビレ……。
本流育ちを雄弁に物語る魚体は本当に素晴らしい。
一度でも手にしたら必ずトリコになってしまうような魚たちだ。
ぜひとも現場で掛けて戦って獲ってほしい。
同志諸君が素晴らしいシーズンを駆け抜けることを心から祈っている。
<週刊つりニュース中部版 冨田真規/TSURINEWS編>