神戸港西エリアの老舗渡船店の河内渡船が、2022年4月5日に廃業した。今回の投稿は、河内渡船の思い出と足跡を残すにとどまらず、廃業の2日後に船長のもとを訪ねた私(筆者)が、船長から聞かされた思いもよらない貴重な話を織り交ぜて、神戸の沖防波堤の渡船再開への何らかのきっかけになればという思いも込めて綴らせていただきたい。
(アイキャッチ画像提供:TSURINEWSライター伴野慶幸)
船長が語った無念と知られざる事実
廃業の2日後の4月7日の午後、長年お世話になった感謝の気持ちを伝えたいという純粋な思いと、私の中でくすぶり続けていた謎を解き放ちたいという思いを持って、河内渡船を訪れた。
閉ざされたシャッターに貼られた閉店の貼り紙に書かれた言葉は、ホームページ以上に情緒の伝わって来ないわずかなものだった。店での知らせがたったこれだけなのかとやりきれない気持ちを抑えて裏口から声をかけると、ご家族の方が出てこられた。突然の訪問の理由と感謝の気持ちを告げると、船長は船着場で作業をしているとのこと。船着場まで行くと、閉ざされたフェンスの奥で船長は船で作業をしていた。
船長の無念
フェンス越しの私に気づいた船長は、一度も見たことのないマスクにスーツ姿の著者に最初は戸惑いを見せたが、程なく「あ!」と私だと判ってフェンスの中に招き入れてくれた。二人きりの思い出話が始まると、「いきなりこんな事になってしもて……」、「突然なんやな……」、「もう出来なくなった」と、船長が口にした無念の思いを聞き、ホームページやシャッターの貼り紙の字面だけで抱いた感情は完全に消え去った。
船長は断片的に、廃業に至った経緯を話してくれた。私は「平成27年8月に旅客船事業の許可を何で取り下げたんですか?旅客船事業許可を今も持っていたら、行政と堂々と話が出来たんちゃいますの?」と、くすぶっていた謎をストレートに尋ねると、予期せぬ答えが帰って来た。
「旅客船の許可は今もあるんやで。定期事業を取り下げて、不定期に移ったんや。旅客船は不定期で、他と同じように遊漁船のほうで渡船をやってくれって、向こう(※行政)から言われたんや。その時は『これで渡船は出来る』という話やったのに、突然アカンって……。」
神戸港東エリアとは違う事情
河内渡船は今も国からの許可を持ち続けていたことを初めて知り驚いたが、続いて私はもう一つの謎として「船長には他の渡船と一致団結して、行政と協議して、沖防の復活にもうひと頑張りしてほしかったんやけどなあ……」と水を向けてみた。
船長の答えは「向こう(※神戸港東エリアの各渡船店)とウチとは違うんや。こっちはこっちで別の組合があってな」と、かつて営業していた神戸港西エリアの渡船店と、旅客船事業許可を持っていた神戸港東エリアの1軒の渡船店とで組合を作っていた経緯を話してくれた。
船長は現在行政と協議に臨んでいる他の渡船店とも連絡を取り合い、情報交換も行っていたことは知っていたが、旅客船事業者として活躍を続け、組合も設けていたという過去の経緯が結果的には仇となって、一致団結とまでは踏み切れなかったようだ。
旅客船と乗船場の足場は解体処分
「アカンならアカンで、いきなりやなくて、もっと前から話をして、それからどうするかという順番ちゃうかなあ」と語る船長の根底にあったのは、過去の経緯が尊重された納得のゆく協議を望む強い思いだった。
「今この船を新造したら、5000万円あってもでけへんで」と語る自慢の旅客船は、乗船場の足場と共に解体処分するとのことだ。様々な貴重な話が聞けた場となったが、これ以上深入りしてはいけないと自制して、最後に改めて感謝の気持ちを伝えるとともに、この日の話も含めた河内渡船の事をTSURINEWSに書き残す事への許しを船長から得て、その場を離れた。
当然の事ながら、船長には船長の言い分が、行政には行政の言い分がある。ボタンの掛け違えと言われればそれまでだが、長年、国から許可を得て、行政の意向にも従い、組合も設けるといった、一貫して筋を通して渡船業を続けてきた河内渡船の廃業という結末には、私としてはやりきりない気持ちが今なおぬぐえない。
行政と渡船店との協議のその後
以前の投稿で、神戸の沖防波堤の立ち入り禁止化の一方で、渡船店と行政との協議が行われていることを書き記したが、2022年4月9日時点で、大きな進展はない。しかし、明るい材料もある。
協議に臨んでいる神戸渡船のホームページには、TSURINEWSの紹介とともに、朝日新聞にも記事が掲載されたことが紹介されている。釣り人の間でも、SNSを中心に、何とかしたいという思いとともに、釣り人にも反省すべき点があるとの意見を数多く見かけるようになり、世間の関心は間違いなく高まりを見せている。
世間の声に行政が動いた事例は、釣りに限らず様々な場面で皆様も見聞きしていることと思う。実は河内渡船の船長からも、先ほどまでの話以外にも、次のような話が聞けた。「●●は、ワシら(※渡船店)に渡船をさせてあげたかったみたいなんや」。「●●は組合が強く交渉して、OKを貰ったと聞いた。」いずれも河内渡船の船長の話として割り引いて捉えるべきであるが、渡船店同士の足並みを揃えた体制づくりが渡船再開のカギだという印象を受けた。
ちなみに後者の話は、神戸市港湾局管轄の沖防波堤ではなく、照会を行ったのは神戸市港湾局とは別の機関なので、その沖波止に不可逆的結論が下されたものとは断定出来ない。真実はそこでの当事者同士のみが知るところだとご承知いただきたい。
私達釣り人は引き続き、渡船が再開されることをひたすら願いつつ、当事者同士の今後の協議を静観するしかないが、可能性はあると信じたい。河内渡船の廃業がいわゆる無駄死に終わることなく、何らかの形で、わずかでも渡船再開につながればという思いを込めて、協議の行方を見守ってゆきたい。
<伴野慶幸/TSURINEWSライター>