山本太郎に聞くチヌ太郎のチヌ道②

前回は釣りを始めてからメディアに登場するまでの〝チヌ太郎が歩んできた釣道を紹介したが、今回は大本命(!?)のカカリ釣りの移り変わりについて。釣り場も道具もエサも大きく変わっているようだ。

【山本太郎】1957年生まれ。三重県在住。
カカリ釣りはもちろん、波止の落とし込み釣り、ウキダンゴ釣り(紀州釣り)、ウキフカセ釣りなど、多彩なクロダイ釣りをオールマイティーにこなす。
シマノ、マルキユー、東レインストラクター。

TSURINEWS編集部 TSURINEWS編集部

その他 インタビュー

では本命のカカリ釣りについて?

そら、あの当時はすごかったね。

僕はもともと日本海育ちやからね、この釣りは。

若狭本郷でもそうやけど、日曜日とかは予約しないで行くと乗る所がないというほど人がいた。

今日は100人超えてるとか。

エサ屋さんというエサ屋さんすべてが、アケミ貝だけでは売ってくれへん。
赤土の箱1つとセット

赤土の小に対してアケミ貝2kgとかいう売り方をしとったから。

それぐらい品薄で、それだけカカリ釣りの人がいた。

とにかく人、人、人で。

当時の釣り方は?

その当時はね、「エサ取り寄せるな、ボラ寄せるな」といわれていた時代やからね、30年前は。

ダンゴ自体があっさりしていた。

たぶん日本海はまだ赤土。

この赤土にね、向こうはサナギのミンチをちょこっとだけ混ぜて使った。

三重県方面は?

三重県方面は釣り場がほとんどなかった。

僕が覚えているのは二見の池ノ浦

今漁協がやってるところじゃない方。

えさきち越えてガードくぐってすぐ左に曲がった魚釣荘

そこと紀伊長島の石倉渡船がやってた。

鳥羽・今浦の海香さんとかは?

もっと遅い。

僕がUFCっていう会に入ったのが30幾つのときやけど、会員は180人からおった。

超有名で、カカリ釣りの草分け的な存在。

川村竿輔か、うちの師匠の森薫かっていう時代ね。

うちの師匠が相談に乗って開業した。

海香の他にも永田渡船や天白渡船、賢島の大矢渡船、鵜方浜の西尾渡船。

横山島にもう1件あった。

もうなくなってしまったけどね。

とにかく三重県の釣り場はものすごく少なくて、ほとんどやってるとこ自体なかった。

だから三重県に来るってことはまれにしかなかった。

当時の渡船店はどんな感じ?

その当時はね、今でいう初代。

今は3代目くらいに変わってきてる。

初代の人はものを言わないおじいさんばっかり。

客の僕らが逆に気を使ってた(笑)

どこに乗せてくれとか、希望を言ったりする時代じゃなかった。

もう黙って、ここで降りって言われると、そこに降りてただけ。

若狭大島の西森渡船がね、予約のときにどこに乗りたいか聞いてくれた。
だけどざっくり……。

例えば大浦とか涙水とか。

何号何号とかはついてなかった。

船頭さん任せ。

もう大半がそうでした。

そして2代目3代目になってようやく愛想を振りまくようになってきて(笑)、聞いてくれるようになった。

タックルの変化は?

昔のタックルはね、やっぱりアタリを取るための延長みたいなもので、今考えたら腰はないわ、ペランペランやわ。

今のタックルは、アタリもちゃんと取って、しっかりそのサオで取ってっていうものやから。

手持ちになって軽量化がものすごい進んでるし。

昔のサオは重い。

重くて長かった。

1.8mとかね、2.1mとかは当たり前。

手持ちになってからですよ、短くなってきたのは。

昔はほとんどが置きザオスタイル。

必ずサオ受けが伴ってきたからね。

今はあまりサオ受けを使わなくなったけど、当時は必ずサオ受けと尻手ロープがセットやった。

リールは小型両軸リールが主体で、リョービが初めてレベルワインドを付けたん。

小型両軸リールにね。

一時すごい売れたけど、すぐにまねされて(笑)。

エサ(さしエサ)は?

日本海側ではサナギエサは欠かせない!

エサ自体も大きく違う。

日本海は決まってアケミ貝。

あとはサナギ。

丸サナギは大物に効くっていうことで、必ず1袋くらいは時期がくると持っていくんやけど、よう使い切れへん。

アタリのないエサやから、1個2個使って、アタらなければすぐに変える。

アケミはむき身?

カカリ釣りメーンのエサ。アケミ丸貝。
半貝。
両貝。

半貝。

半貝がメーンで、むき身も使うし、両貝も使うけども、丸貝はちょっとレベルの高い人が使ってた。

1日の量としては、3~5kgは当たり前やった。

日本海はわりと価格が高めやったんやけど、三重県の方やと大体1本15kg入りで

3000円くらいか、そんなもんやった。

ダンゴは?

ダンゴはねぇ……

「ほんまに当時はエサ取り寄せるな、ボラ寄せるなということで」

極めてあっさりした、なんら集魚力のないダンゴが当たり前。

極端に言うと土の塊みたいな?

そうそう。

とにかくエサと仕掛けが底へ届けばいい。

それがいつのころからか、ダンゴ自体を食わせるに変わった。

ただ、今の釣り人でもダンゴ自体を食っているとか分かっている人は少ないよ。

そのころはカカリ釣りのダンゴはあった?

※マルキユー担当者……「オカラだんごが初代だと思いますよ。あれをフカセで使っていましたからね。専用に作ったのはイカダ大チヌですよ。

あったな、そういうの(笑)

箱物はまだなかった。

まだまだ後。

袋物だけ。

そのときは混ぜるという認識はなかったから、袋物を単品で使う。

持ってくる量は、ほとんどの人が1袋。

一日で?

そうそうそう。

1つしか持ってない。

なくなったら帰る(笑)。

どんなダンゴ?

今では種類が増えたダンゴ。

深場大チヌとかの流れみたいなダンゴ。

ウエットではなく、完全に乾燥もの。

日本海に行く人は圧倒的に赤土やし、太平洋側に来る人は、そういうダンゴを持っていたけど。

初めは単品使いで、それに荒びきさなぎをちょっと混ぜるようになったりとか。

場合によっては渡船屋さんのオリジナル的なダンゴ。

和歌山なんかはみんなそう。

オリジナルのヌカダンゴがエサ屋さんにも売っていた。

今は活さなぎミンチ激荒が人気ですが?

激荒は完全にアケミ貝の市場を取ってしまいました。

イカダ大チヌがあって、ちょっとずつオカラだんごとかが出てきて。

オカラだんごはなんにでも使える。

軽いんやけどね。

イカダで使う人が多かった。

カカリ釣り全盛期。

その人気に押されるように、カカリ釣りを取り巻く環境はどんどん変わっていく。

では、頂点に達した人気は、その後どうなるのだろう。

次回最終回はカカリ釣りの未来、そして原点クロダイの魅力を語ってもらう。

<週刊つりニュース中部版 編集部/TSURINEWS編>

前回「クロダイ釣りとの出会い」はコチラ

【山本太郎】1957年生まれ。三重県在住。
カカリ釣りはもちろん、波止の落とし込み釣り、ウキダンゴ釣り(紀州釣り)、ウキフカセ釣りなど、多彩なクロダイ釣りをオールマイティーにこなす。
シマノ、マルキユー、東レインストラクター。

この記事は『週刊つりニュース中部版』2018年4月13日号に掲載された記事を再編集したものになります。

  

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